***



悶々とした気持ちを抱えたまま、朱里は書庫で本を漁っていた。

手当たり次第に医学書と思しきものを集めて、窓辺に陣取る。ここなら陽射しも入って本を読みやすい。

ページをめくって有益な情報を探しつつも、気持ちは落ち着かなかった。何とも言えないわだかまりが、モヤモヤと鳩尾を押し上げてくる。油断すれば、ロキの勝ち誇ったような笑みが、さらに朱里の気持ちを苛立たせてくるものだからたまらない。

「…絶対はったりに決まってる。小夜がそう簡単に許すわけない…」

そうは思うのだが、一抹の不安もあった。

小夜はそういう方面については、とことん無知だ。
見るからに女慣れしていそうなロキを相手に、何をされているかも分からない小夜が、そもそも拒むという発想に至るだろうか。

しばし手を止めたまま考えた後、朱里はがくりとうなだれた。

「…駄目だ。最悪の展開しか浮かばねえ…」

下手をすれば、脳内で勝手に映像が再生されそうになるのを、必死に首を振って止める。

とにかく今は、小夜を目覚めさせるための方法を探すのが先だ。

拭いきれない喪失感を顔に浮かべたまま、朱里は必死に本と向き合うことに努めるのだった。


****



朝は一番に剣の手合わせで生傷を増やし、昼からは書庫に籠って情報収集、空いた時間に茶を淹れたり散らばった書類を回収したりといった主人の世話。

シルドラ城を訪れて数日、この一連の流れが、朱里の日課として定着しようとしていた。

果たしてこれが正しい時間の使い方なのかどうか、朱里自身甚だ疑問だが、考える間もなくロキから雑用が言い渡されるのだから仕方がない。
側近のトールが不在なのを理由にされると、朱里も何も言えなくなってしまう。

トールは今も、家族の元に戻ることもせず、小夜の身を守ってくれているのだろう。ならば自分も、トールの代理をしっかりと務め上げるしかない。そう腹を決めたのだった。


回廊にぐるりと囲まれた中庭の草抜き。それが今日の朱里に課せられた仕事だ。

まさかこんなことまでトールは普段していないだろうと直訴したのだが、どうやら庭の世話も彼が一人で行っていたらしい。元々、土いじりが好きなのだそうだ。

どれだけの仕事量をこなしてるんだ、あの人は。
もはや尊敬の念すら覚える。

朱里はため息混じりに、足元の草をむしり取った。

ここ数日続く憂鬱な気分がどうも抜けない。これというのも、全部ロキの問題発言に端を発しているわけだが。

「ちくしょう」

当てどころのない苛立ちを仕方なく雑草に向けていると、頭上から声がかけられた。

「おい、セバスチャン」

嫌になるくらいに聞き慣れたその台詞に、朱里はうんざりしながら、抜いたばかりの草を放りつつ顔を上げた。

予想どおり二階の渡り廊下に、こちらを見下ろす馴染みの顔があった。

「精が出るな」

労いの言葉のわりには、ロキの顔は愉快げだ。

「しかしそうしていると、庭師にしか見えんぞ」

案の定二言目には食えない台詞を吐いてくるが、もう慣れたものだ。いちいち反応しているときりがない。

朱里は返事の代わりに鼻で笑ってやった。

見上げた先に広がる雲一つない青空には、太陽がさんさんと輝いている。

春とは言え、日差しの下に長くいるとさすがに暑い。
額ににじんだ汗を拭いながら腰を上げ、大きく背中を反らして体をほぐす。

息をつくと、朱里は再度主のほうに顔を向けた。

頬杖をついてこちらをじっと見下ろすロキと目が合う。

「何か用かよ」

訝しげに尋ねる朱里に、ロキが不思議そうに口を開いた。

「俺のことが気に食わんだろうに、ずいぶん真面目に働くんだな」

その言葉には何の含みもない。ただただ不思議で仕方がないというふうに、ロキは首をひねっている。

「はあ?いつ誰が気に食わないなんて言ったんだよ」

「言わずとも分かる。俺はお前から姫を奪おうとしている男だからな。それに、俺の噂は知っているだろう?」

尋ねた後、わずかにロキの口元が自嘲気味に歪むのが分かった。

朱里は真っ直ぐにロキを見上げたまま、迷うことなく答えを口にした。

「知ってるよ。けど噂なんて俺には関係ない。あんたがどんな奴で何を考えてるのか、俺は自分の目で見て判断する。その上で気に食わないことがあったら、直接あんたに文句でも言うよ」

朱里の返答を受けて、ロキが目を瞬かせた。

思わぬ答えだったのかもしれない。いつも涼しげな表情が、そのときばかりはきょとんとした子どものようになっていた。

「それで?」

再度ロキを見上げて朱里が問う。

「俺に何か用?」

澄み渡った青空を背に、ロキが楽しそうに笑った。

「特に用はなかったが、気が変わった。お前に俺の秘密を教えてやろう」

「はあ?」

嫌な予感がするから遠慮しておく、とは言えそうな雰囲気でもない。

一体どういう風の吹き回しだか。

何を考えているのかまったく読めないロキの顔を見上げて、朱里は内心首を傾げたのだった。




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