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第9章
ロキという男
火のない所に煙は立たないという言葉は、あながち間違っていないと思う。
火傷するくらいに熱々の紅茶を温めたカップに注ぎながら、朱里は後ろでくつろぐ主人をちらりと盗み見た。
相変わらずソファに陣取ったロキは、これまた相変わらず寝転がって、ソファからはみ出した足をぶらぶらと揺らしていた。誰が見ても、これが一国の王だなんて思えないだらけ様だ。
珍しく何か書類に目を通しているようだが、興味が欠片もないだろうことは、その表情を見れば明らかだった。というか、この城に来てこの方、この男がやる気に満ち溢れた顔を見せたことがあっただろうか。まず思い出せない。
冷酷非道。反逆者。悪王。
ロキについては様々な浮名が世に流れている。
そのどれもがマイナスな印象のものばかりだが、この男を側で見ていれば、それも仕方ないことだと思う。
小夜とは真逆の意味で、ロキは王らしくないのだ。
父親の命を奪ってまで、王様になりたかったようには見えないんだよな。
大きな欠伸をしながら書類を床に放るロキの姿に、朱里は小首を傾げた。
正直言って、この男が玉座に強い執着を持っているとは到底思えない。
これは朱里の主観だが、野心の強い人間というのはもっとあらゆることに積極的で、ぎらついた目をしているものだ。
だがロキはどうだろう。野心とはてんで無縁どころか、今の立場を面倒がっているようにさえ見える。
ソファからはみ出した長い足を揺らして、ロキが再び暇そうに欠伸を漏らした。放っておけば日がな一日、ああしてだらけているに違いない。
湯気の立つティーカップをロキの元に運びながら、朱里は思考を巡らせた。
おかしな話だ。王座に興味がないのなら、なぜ父を手にかける必要があったのか。
そもそもよく考えれば、ロキが父親を殺したという話には何の確証もない。
無言のままカップを差し出すと、ロキが寝転がったまま手を伸ばしてそれを受け取った。朱里を下から見上げてからかうように笑う。
「今回はぬるくないだろうな」
口を開けばこんな戯言ばかりで、ロキの真意はほとんど表に出てこない。
能ある鷹は何とやらなのか、もしくは本当に何も考えてない楽観主義なのか。
カップに口をつけるロキを見下ろして、試しに何気ないふりで聞いてみることにした。
「王様ってのは、案外好き勝手できて楽そうでいいよな。なれるもんなら俺もなってみたいよ」
もちろん本心ではない。ロキの反応を確かめるためだ。
返答をじっと待つ朱里の前で、ロキはカップを見つめたまま、小さな笑いをこぼした。
「俺からすれば、自由にどこにでも行けるお前こそ羨ましいがな。王なんて、国に捧げられた贄にしか過ぎん。自由も意志もそこにはない。民の機嫌に左右され、生死すら自分では選べない。ただ形ばかりの身分を与えられ、負いたくもない責を負わされる。滑稽な存在だ」
淡々と告げると、ロキは涼しい顔で湯気の立つ紅茶に口をつけた。
返す言葉が見つからなかった。ロキが自らを嘲るような答えを返してくるとは思いもしなかったのだ。
妙な罪悪感に駆られて口をつぐんでいると、ロキが再度口を開いた。
「それにしても、ずいぶんあからさまなやり方で俺を試すんだな。今の答えはお前の満足のいくものだったか?」
意地悪く笑うその顔に、朱里は自分がからかわれていたのだとようやく気づいた。
道理でロキらしくない答えなわけだ。わざと同情を誘うような言葉を選んで、朱里の反応を楽しんでいたに違いない。
「あんたほんっと性格悪いな」
「人を試すようなことを言うお前も大概だがな」
「う…」
ぐうの音も出ない。