朱里に気圧されて、ロキが後ろに一歩退いた。

わずかに生まれた隙に、朱里は交差させた剣を弾き返して腕を振り上げる。

「それが俺の覚悟だ!」

言い放つと同時に、力のかぎりに剣を振り下ろした。

一瞬ロキが小さく笑うのが見えて、直後、その手が横に一閃した。

渾身の一撃のはずの剣が、呆気なく弾き飛ばされる。ロキの背後で、朱里の剣がくるくると宙を舞って落下していくのが見えた。

「なるほどな」

無防備になった朱里の前で、ロキがニヤリと笑う。

すかさず両手を上げて降参のポーズを取る朱里。
だが、ロキの構えは一向に解かれる気配がない。

「こうも容易く武器を手放していて、どう姫を支えていくのか、ご教示願おうか」

一歩踏み込んでくるロキに、朱里はひきつった笑みを浮かべて首を左右に振った。

「待て待て待て。丸腰の相手に剣向けるとか、騎士の精神ってやつに反するだろ!」

「あいにくだが、俺は王だ。よって、そんな高尚な精神は持ち合わせていない」

眼前に剣の影がよぎる。

そんなの屁理屈だ、という言葉の代わりに、朱里の口から蛙のような呻き声が漏れたのは、それからすぐのことだった。


***



端正なロキの横顔を、爽やかな海風がくすぐっていく。
風を受けてその耳に下がった耳飾りがゆらりと揺れた。

涼やかな視線を海から足元に転じると、そこにはボロ雑巾のように変わり果てた姿の朱里が、うつ伏せに倒れているのだった。

哀れな銀髪を、風がそよと揺らしていく。

「口ほどにもないな。それでよく、姫を守るなどと豪語できたものだ」

「うるせえ…。まだ成長過程なんだよ。あんたこそ、素人相手に少しは容赦しろよ…」

気絶しているのかと思いきや、何とか意識だけは保っているらしい。ただ体力の限界を超えたのか、起き上がる様子はない。
人の足元で悪態をつくのはいいが、傍目に見るとなんとも情けない光景だった。

一方のロキは優雅に風を浴びながら、手すりに半身を預けて海を眺めている。その顔にはかすり傷一つない。

「殴ってほしいと言ったのはお前だろう」

「誰も剣でぶちのめしてほしいなんて頼んでない…!」

即座に否定する朱里。

そもそも自分で自分に腹が立っていただけで、ロキに物理的に殴ってほしいとは一言も口にしていない。

結果、すっきりするどころか、ますます鬱憤が溜まっただけだった。

石の床に頬を押しつけたまま、朱里はため息を漏らす。

俺は一体何をやってるんだろう。この城に来てから、ため息の数が圧倒的に増えた気がする。
いや、正しくはこの王様と顔を合わせてからか。

「…あんたの側にいると、ほんと気が滅入るよ…」

何気なく出た言葉だった。

側近のトールも普段から気苦労が多いんだろうな。

心底哀れに感じながら、ロキの高慢な返しを待っていると、意外にも返事は一言だけだった。

「そうか」

待ってみてもその後は特に続かない。
ちらりとその横顔を見上げても、海に注がれた視線がこちらを向くことはなかった。

まるでこれでは、自分が悪口でも言ったかのようではないか。

軽く一蹴されるだろうと思って放った言葉だったが、思いのほかロキという男は繊細にできていたのだろうか。
偉そうに気取ってはいるが、意外と打たれ弱い奴なのかも。

そう考えると、少し申し訳なく思えてくるのが、朱里というお人好しの特長だったりする。


「あー…」

しばし考えあぐねた後で、朱里はなんとかフォローの言葉を練り出した。

「まあ、あんたといると暇はしないけどさ。手合わせもそんな悪くなかったし」

苦し紛れに笑ってみせると、こちらを見下ろすロキと目が合った。

朱里の不格好な気遣いに気づいたのか、ロキの口からぷっと笑いがふき出す。

「ずいぶんと優しいんだな。だが、俺はお前の言葉くらいで傷ついたりしないから安心しろ」

完全に朱里の気持ちは見透かされているらしい。
思わず赤面する朱里に、ロキが続けた。

「そんなに手合わせが気に入ったのなら、毎日の習慣にでもするか。お前も早急に強くなる必要があるようだしな。なあ?見習い剣士のセバスチャン?」

勝手に妙な称号をつけて愉快そうに笑うロキには、繊細のせの字もない。大胆不敵そのものだ。

「明日も同じ時間にここに来い。剣を教えてやろう」

激しい後悔の念に襲われる朱里を背に、そのままロキは上着をひるがえしながらその場を去っていったのだった。


一人海の臨む渡り廊下に倒れ伏したまま、朱里がぽつりと呟く。

「…今すぐ自由になりたい…」


小夜を守るためなら何でもする。

早くもそんな覚悟が揺らぎそうな瞬間だった。




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