朱里の言葉に、ロキがわずかに眉を寄せるのが分かった。
「何か余計なことをして、その結果後悔する可能性は考えないのか?闇雲に猛進して、それが誰かを傷つける可能性は?」
朱里は思わずロキの顔を見返す。
この男は何が言いたいんだろう。
なぜそんなに、自分が傷でも負ったかのような表情を浮かべるのか。
返す言葉に窮していると、ロキがさらに質問を投げかけてきた。
「そもそも姫を目覚めさせて、その後お前はどうするつもりだ。一旦手離した姫を、また旅にでも連れ出すのか?」
嘲るように口元を緩めたロキに、朱里は口ごもる。
「それは…」
胸中のどこを探しても答えは見つからない。
思えば小夜を目覚めさせることばかりに必死で、その後のことは考えてもみなかった。
トオヤから引き離したその後は、できれば側にいてやりたい。
だからと言って、再び小夜を国から奪う形で自分の旅に同行させるのは、何か違う気がした。
「なんだ。人の婚約を阻止するなどと大それたことを言っておいて、ずいぶんと無計画なんだな」
ロキの挑発的な言葉にも反論できない。
「俺は…ただ、あいつの側に」
なんとかそれだけ答えると、ロキが鼻で笑って返した。
「青臭いな。姫の側にいたいだけなら、側近にでもなればいい。俺は一向に構わんぞ。予定どおり夫の地位は俺が手にするだけだ」
「そんなの駄目だ!」
思わずそう叫んでいた。
ロキが呆れたように肩をすくめて閉口する。
自分でもちぐはぐなことを言っている自覚はあった。
人には譲れないくせに、自分でもどうすればいいのか分からないなんて、どれだけ幼いんだろう。
けれど、側にいたいという曖昧な願いのほかに、どんな身の程知らずな夢を見られるというのか。
具体的に考えれば考えるだけ、小夜との未来が絵空事のように思えてならない。
「俺は、あいつの側にいるための役がほしいわけじゃないんだ。王女とかそんなの関係なく、一人のただの女として、小夜の側にいてやりたいだけで…」
心の中にある思いをそのまま口にする。
返答は間を置かず、冷めきったロキの口から発せられた。
「逃避するのも大概にしろ。姫がただの女のわけがないだろう。自由が当たり前のお前には想像もつかんだろうが、俺たち王族は生まれ落ちた瞬間から、あらゆる責任をその身に負うんだ。姫が抱えたものから目を背け続けるかぎり、お前に彼女の側を望む資格などない」
鈍器で殴られたような衝撃に、朱里は口をつぐんだまま立ちすくむ。
ロキは肩で息を吐き出すと、気だるそうに立ち上がって言った。
「書庫ならこの部屋を出てすぐ右手にある。動き回るのは勝手だが、彼女の側にいるためには、お前にも相当の覚悟がいる。それを肝に銘じて、もう一度よく考えてみるんだな」
そのまま朱里を顧みることなく、上着を揺らしながら部屋を出ていく。
直後、扉の閉じられる音が室内に大きく響き渡った。
立ちすくむ朱里の銀髪を、窓から入った潮風が冷たく撫でていった。
書庫の扉を開いた途端、古紙の乾いた匂いが鼻をかすめた。
普段ならば、その匂いを嗅いだだけで心がわき立つというのに、今はそれどころか深く沈みきってしまっている。
「はあ…」
ずらりと天井まで伸びた部屋いっぱいの巨大な本棚にも、心は動かされない。
奥に一つだけある窓辺からは、哀愁漂う西日が朱里の足元まで射し込んでいた。
惰性で近くの棚から本を取り出してパラパラとめくってみる。
視界に文字ははっきり映っているはずだが、まったくと言って頭に入ってこない。
伏せ気味の睫毛が、その頬に暗い影を生んだ。
本を手にしたまま、朱里の意識は別の場所を漂っていた。
ロキの部屋での一件を脳裏に甦らせて、益々朱里の顔色が曇る。
ロキの言っていることはもっともだった。
自分は小夜が王女であるという事実から、いまだに目を背けているのだろう。
一介のトレジャーハンターである自分が、どうすればそんな大それた存在と向き合えるのか、はっきり言うとよく分からない。
今までは、ただの相棒として小夜を見ていればそれでよかった。
だがこれから先はそうではないのだ。