「こら!お客様にそんな乱暴なことをしないの!」
少女たちの母親だろうか。
女性のおかげで、ようやく朱里は自由を取り戻した。
「助かった…」
心底安堵したせいか、心の声が息とともに漏れる。
女性は朱里にジュースの入ったグラスを勧めながら、自らも向かいの席に腰を下ろした。
「娘たちがごめんなさい。素敵なお兄さんが来てくれたから、すっかり舞い上がってしまったのね。遊んでくれてありがとう」
「いや、俺は」
別に何もしてないと言おうとしたところで、両隣から少女たちが声を上げた。
「母様、この方どこかの国の王子様なの」
「いろいろと訳ありなのよ」
神妙な顔をして言う少女たちの前で、女性が目をぱちくりさせる。
無理もない。
どこからどう見ても、朱里は王子様なんて高貴な人間にはこれっぽっちも見えないだろう。
「違うんだ。それはロキの奴が…」
なぜ自分がついてもいない嘘の弁解をしなければならないのか。さらにロキへの怒りが募る。
女性はありがたいことに、察しがいいタイプのようだった。
ロキの名前を出した時点で、得心がいったように「ああ」と笑顔をこぼした。
「ロキ様に遊ばれちゃったのね」
まさにそれだ。
旦那がロキの側近を務めているからだろう。女性のロキに対する認識は正確なようだった。
それにしても、ロキがこの部屋に姿を現す気配は一向にない。
人に子どもの世話を押しつけて、自分は一体何をしているのか。
服の襟元を引っ張られながら、ちらりと部屋の扉に目をやったとき。
「あら、もしかしてロキ様を待ってる?」
女性が口元に手を当てて、少し気まずそうに続けた。
「ロキ様なら、私とお話した後すぐに帰っちゃったのよ」
「は…?」
開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろう。
自分は伝えたいことだけ伝えて、さっさと立ち去ったというのか。
朱里を少女たちの花園という名の地獄に置き去りにして。
深淵よりも深いため息が漏れた。
どれだけ勝手な奴なんだ。
今頃はきっと自室で、さっきのようにソファに寝そべってでもいるに違いない。
やっぱりあんな奴に小夜は渡せない。小夜をトールや自分の二の舞にさせるわけにはいかない。
何がなんでも婚約は阻止しないと。
ごうごうと怒りの炎を燃やす朱里の前で、女性が苦笑を漏らした。
「ロキ様は悪い方じゃないのよ。ああやって自由に生きてるようで、決してそうじゃないと思う。だって王様だもの」
「いい奴でもないだろ」
即答する朱里に、女性は一言、
「優しい方よ」
それだけ答えて微笑んだ。
さすがにこれ以上ロキについて否定するのも女性に悪い気がして、朱里は話題を変える。
「ロキから話は聞いたんだろ。旦那がしばらく帰ってこれないって」
元はと言えば、こちらが本題だ。ロキのことなんて今はどうだっていい。
女性がええ、と頷くのを確認して、朱里は再度口を開く。
「あんたの旦那を巻き込んだのは俺だ。旦那は今俺の代わりに、マーレン城で眠ってる王女の側についてくれてる。そのせいで、あんたたちから離すような形になって、本当に申し訳ないと思ってる。ごめん」
深く頭を下げる朱里に、女性は穏やかな声で返してきた。
「その方はあなたの大切な人なのね」
顔を上げると、笑顔でこちらを見つめる女性と目が合った。
朱里は迷いなく頷く。
「ああ。すごく大事な奴だ」
「なら素敵なことだわ」
女性がさも嬉しそうに両手を合わせた。
「夫はあなたたちが幸せになるためのお手伝いをしているんでしょう?謝る必要なんてないのよ。少しの間会えないからって、そう簡単に壊れちゃうほど家族の絆は脆くないんだから」
そう言ってにっこり笑う女性の真似をして、少女たちからも口々に「そうよそうよ!」と声が飛んできた。
家を守る女は強しだ。
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