てっきり馬車か何かを利用するのだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
城を出て雑木林の坂道を下る間、黙々と前を歩くロキの背中を眺めながら、朱里はぼんやりと物思いに耽っていた。
婚約を阻止してやると豪語したはいいものの、果たして小夜はそれを望んでいるのだろうか。
別れを告げたはずの相棒が何を今さら、とむしろ煙たがられそうな気がする。
ひょっとすると自分は、単に小夜の邪魔をしているだけなのでは。
その可能性に気づいて、朱里は前方のロキの背中をじっと見つめた。
自分が牢にこもっている間、小夜とロキがどんな時間を過ごしたのかは知らない。
だがトオヤに一瞬の激昂を見せたロキの様子からすると、二人の間には特別な絆が築かれているように思えた。
もしかしたら、俺のことなんてとっくに忘れてるのかもしれないな。
自嘲気味に息を吐いた朱里の耳に、賑やかな喧騒が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。
花の咲き誇る色鮮やかな街中を抜け、ロキについて海沿いの通りに出る。
町を歩いているときからずっと漂っていた潮の香りが、ぐんと強く鼻に香った。
石畳の敷かれた直線の道には、右方に海が広がり、それを見渡すように道を挟んだ左方に家々が並んでいた。海から吹く風が、穏やかに街路樹の葉を揺らしていく。
青く輝く海に目を細めていると、前を歩いていたロキが予告もなく左に折れた。
見れば大きな白壁の屋敷の敷地を、我が物顔でずんずんと進んでいく。
ここがトールの暮らす家なのだろうか。
綺麗に刈りそろえられた芝生の上を歩きながら屋敷を見上げると、二階に並んだ窓枠から赤いブーゲンビリアの花が風に揺られていた。
目の前には美しい海が広がる、最高の立地だ。
こんな場所になら腰を落ち着けるのも悪くないかもな。
ふいに「ただいま」と扉をくぐった先で、笑顔で出迎えてくれるエプロン姿の小夜が頭に浮かんで、朱里は激しく首を振ってそれを打ち消した。
ずいぶんと自分に都合のいい妄想だ。
いい加減にしろと頭をはたいてやりたくなる。
「おい。セバスチャン」
馴染みのまったくない名前を呼ばれて、ゆるゆると顔を巡らせると、ロキが屋敷の扉の前で腕を組んでこちらをじっと見ているようだった。
いつの間にか足が止まっていたらしい。急いでロキの元へ駆け寄る。
「ここがあの人の家なのか?」
「ああ」
それだけ告げると、ロキは何の躊躇いもなく扉の呼び鈴を鳴らした。
すぐに屋敷の中から賑やかな足音が近づいてきて、ロキの背中がぽつりと一言、「覚悟しろ」とささやいた。
「え?」
朱里の声を打ち消すように、扉が大きく開放される。と同時に、耳をつんざくような黄色い悲鳴が轟いた。
「きゃー!ロキ様よ!」
「私たちに会いに来てくれたのね!」
何事かと目を白黒させる朱里の視界には、だが誰の姿もない。
首をひねる朱里の前で、ロキが慣れた風に口を開いた。
「今日はお前たちにいい土産を持ってきたぞ」
ほら、と朱里の背中に手を当て、自分の前に押し出すロキ。
なおも不思議そうな顔で周囲を見回す朱里に、「下だ、下」とどこかうんざりしたロキの声が告げた。
視線を下ろすと、眼下に二人の小さな少女が並んで立っていた。
色違いのワンピースを身にまとった、瓜二つの顔をした少女たちは、ロキが土産と称して差し出した朱里の顔を見上げて、好奇心に目を輝かせた。
「あら、すてき!」
「この方もどこかの王子様なの?」
「そうだな。とある国の王族なんだが、少し訳ありでな。こうして民間人に身をやつしているんだ。よくしてやってくれ」
さらりと笑顔で即答するロキに、少女たちの瞳が一層輝きを増したのが分かった。嫌な予感がする。
少女たちはそれぞれ左右から朱里の手をがっしり握り締めると、大人顔負けの訳知り顔を向けて鈴の音で告げた。
「若いのに苦労されてるのね」
「でも大丈夫。私たちと一緒にクッキーでも食べましょ」
こうなると何を言っても無駄だろうことは、過去の経験から痛いほど身に染みている。
子どもというやつは、遠慮がない分厄介なのだ。
少女たちに反論する代わりに、朱里は後ろに立っているであろうロキに恨めしげな視線を送ることにした。
ロキがわざとらしく肩をすくめて口の端を持ち上げる。
自分から朱里を生贄として差し出しておいて、災難だったなと言わんばかりの表情だ。
後で覚えてろよ。
声に出さずに口の動きだけでそう告げると、朱里は少女たちに引きずられるようにして屋敷の奥に消えていくのだった。