「なるほど。どうやらお前は暇を持て余しているらしいな」
顔にかかった書類を払いながら、ロキが片口を引き上げつつ身を起こした。
あ?と訝しむ朱里にロキが続けて言う。
「客人という扱いもおかしな話だからな。お前にはこの国で動きやすいよう、一時的に役職を与えてやろう」
顎に手を当てて考える素振りを見せるロキの姿に、朱里は嫌な予感を覚えた。
以前もこの表情を目にしたことがある。トールが浮気を疑われるうんたらでからかわれていたときだ。
おそらくロキが生き生きと目を輝かせているときは、何か良からぬことを企んでいるに違いない。
案の定、ロキは名案とばかりににっこり笑って朱里に言い放った。
「今は世話焼きトールも不在のことだし、ちょうどいい。お前はたった今から、俺の執事のセバスチャンだ」
「…は?」
つっこみどころ満載すぎて固まる朱里。
トールは執事ではなく側近ではないのかとか、セバスチャンなんて名前は一体どこからきたんだとか、あらゆる疑問が一瞬にして脳内を駆け巡った。
だがここで時を止めている間にも、ロキの提案は確定してしまいそうな勢いだ。
混乱した頭の中から、朱里はなんとか適当な疑問を口にした。
「なんでわざわざ名前まで変える必要があるんだよ。俺にはちゃんと朱里って名前があるのに」
「馬鹿を言え。お前は本来なら我が国で処断しなければならん設定だ。元の名のまま俺の側に置いていては、いらん波風を立てる。お前がこの国にいるには、別人になる他ないだろうが」
「…そう、なのか?」
納得できるような、できないような。
どこか腑に落ちない気がする。
ただ、真剣そのものの表情でロキがこちらを見上げてくるため、今は渋々頷くしかない。
相変わらず押しに弱い朱里である。
「…分かった。それでいい」
「よし。そうと決まれば」
朱里のその言葉を待っていたのか、ロキは勢いよくソファに転がると腕を組んで寛ぐ体勢に入った。
「さっそく茶でも入れてくれ。セバスチャン」
罠にはまったのだと気づいたときには時すでに遅し。
トレジャーハンター朱里もとい、執事セバスチャンの誕生であった。
「ぬるいな。紅茶の淹れ方も知らんのか」
「悪かったな。嫌なら自分で淹れろよ」
紅茶のポットをサイドテーブルの上に叩きつけながら、朱里は主をじろりとひと睨みした。
ロキは優雅にティータイム中だ。
トールは側近のはずだが、日頃からこんな雑用をさせられているのかと思うと、哀れに思えてならない。
そこで朱里はふとトールが言っていたことを思い出した。
「なあ、そういえばあの人の家族に伝えなきゃいけないんだろ。しばらく旦那は帰って来れないって」
振り返った先でロキがカップを手に「ああ」と返した。
「これを飲み終わったら行く」
再びカップに口をつけて、「しかしぬるいな」と一言。さすがに何度も言われれば癇に障る。
「うるせえな。次は熱々にしてやるからもういいだろ。それより、俺もついて行っていいか?」
何気なく次回のお茶くみも買って出ていることに、朱里は気づいているのだろうか。
ロキが小さく笑みを漏らした。
「別に構わんが、特に面白いこともないぞ。強いて言えば、小さいのにまとわりつかれるくらいだ」
小さいのとは一体何だろう。犬でも飼っているのだろうか。
若干気にはなったが、そこは流すことにする。
「いいんだよ。あの人は俺の代わりに小夜の側にいてくれてる。だから俺も直接家族に会って、迷惑かけるって謝っときたいんだ」
「律儀なことだな」
皮肉めいた言葉を最後にカップの中身を煽って立ち上がると、ロキはそのまま朱里の元に歩み寄ってきた。
「それでは行くか」
すれ違いざま、空いたカップを朱里の手に預けてくる。
それがあまりに自然な動作なため、朱里も無意識に受け取ってしまっていた。
まじまじと空のカップを見つめた後で、片付けを押しつけられたのだと気づく。
「あんたな!」
文句の一つも言ってやろうと顔を上げるが、ロキの背中は早くも部屋の扉を出ていくところだった。
朱里を部屋に残したまま、遠慮なく扉がバタンと音を立てて閉じられた。
何と自由気ままな王様なのだろう。
正直先が思いやられる。
胸に一抹どころか二、三抹の不安をよぎらせたまま、朱里はカップを側の棚に置いてロキの後ろ姿を追いかけるのだった。