***



ふう、と息を漏らして扉を閉めると、トールはベッド側に置いた椅子に腰を下ろした。

とりあえず、これでしばらくはこの部屋に寄りつくこともないだろう。

無謀な行動に出るほど短絡的にも見えない。姫の身の安全はしばらく保障されるはずだ。


ベッドの上では、一ミリの変化もなく小夜が深い眠りについていた。

その姿を見ると、どうしてもやり切れない気持ちになる。

若い身の上で一国を背負うことになってしまった薄幸の王女。
それでも健気に前進しようとする姿は、ロキの側にいるトールからすれば眩しく瑞々しいものだった。
停滞をよしとするロキとは対極的だ。

だからこそ、婚約を交わし、后としてロキの側に寄り添ってくれれば、何かが変わる気がした。
近い未来ロキに訪れるだろう運命に、小夜なら抗えるのではないかと期待したのだ。

だが、現実はどうだ。

頼みの綱にしていた小夜がこんな状態では、婚約など夢のまた夢だ。

「…どうしてこんなことに…」

トールは頭を抱えてうなだれる。

小夜が目覚めないかぎり、ロキの運命は変わらない。

これではまるで小夜に降りかかった災難も含め、すべての出来事が、これから起こる悲劇のための前座のようではないか。

すぐ先で鎌首をもたげた暗澹たる未来に、トールはなす術もなく目を覆い続けるしかなかった。


****



小夜に再会を誓って勢いよく馬車に乗り込んだはいいものの、朱里は不安に駆られて車窓から覗く景色に目を寄せた。

マーレン城下を抜け、二人を乗せた馬車は今、森の小路を軽快な蹄の音を鳴らしながら走っていた。木々の緑があっという速さで視界を右から左へ流れていく。

「あのさ」

斜め向かいの席に顔を向けると、ロキは慣れた様子で窓辺に頬杖をついて物思いに耽っているようだった。

視線だけちらりと朱里に向けて、言葉の続きを促してくる。

「この馬車、どこまで行くんだ」

尋ねつつも、返事はおおむね予想できた。

「シルドラ城だ」

思ったとおり、あっさり言い放たれたその言葉に、朱里はため息をつく。

やっぱりか…。

頭の中に広げた地図で、シルドラ城までの道筋を辿り、さらにため息をもう一つ。


かくまってもらう分にはありがたいのだが、マーレン城との距離を考えると、あまり素直に喜べない。

なるべくなら、小夜から近い場所に身を置きたいというのが本音だった。


さすがに口には出さないが、顔色には滲み出ていたのかもしれない。
ロキが頬杖を解いて朱里のほうに顔を向けた。

「今さらやめるなどと言い出すなよ。この馬車を下りればお前の命はないぞ」

ぎろりと一瞥されて朱里は唾を飲み込む。

これは脅しなのだろうか。ロキに歯向かえば、ただでは済まないと。
でも、一体何のために?

安易に馬車に乗り込んだことを後悔していると、ロキが窓の向こうに顔を寄せて続けた。

「先ほどからずっと後をつけてくる荷馬車がある。おそらくこちらがお前を解放するのを待っているのだろう」

目を細めて後方を見つめるロキの横顔は真剣そのものだ。

自分の思い違いに気づいて、朱里は背もたれに深く体を預けて脱力した。

「どうした?」

「いや、悪い。ちゃんとあんたのとこで世話になるよ」

「それが賢明だな」

ふっと笑いをこぼすロキに息を吐きつつ苦笑を返して、朱里は改めて車窓から覗く景色に目を向けた。

小夜から必要以上に離れてしまうのは気が引けたが、今は他に方法がない。

それに、思ったよりシルドラ王は悪い人間ではないのかもしれない。

父から王の座を剥奪し、悪政で民を苦しめる冷酷非道の悪王なんてのは、所詮ただの噂だ。
噂が当てにはならないことは、朱里自身身に染みて理解していた。

今は外聞に振り回されることなく、目的を同じくした同志として、この男をある程度信じることにしよう。

それがきっと小夜を救うことにつながるはずだ。


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