顔を曇らせた朱里の隣で、ロキが前にそびえる扉を開け放つ。
そこは大きく開けたホールのようだった。
正面にはおそらく外へ続いているのだろう、立派な両扉が見えた。
ホールの中央から天を仰ぐと、クリスタルのシャンデリアが高窓から入る日差しを浴びて、きらきらと七色に輝いているのが見えた。
朱里の横で周囲に目を配っていたロキが息を吐く。
「幸いだったな」
何が、と尋ねようとしたところで、背後から階段を下りてくる足音が響いた。
「──おや?」
絶対に忘れることのないその声に、背筋がぞわりと粟立つのが分かった。
振り返ると同時に、朱里は敵意を剥き出しにしてその男、トオヤを睨みつけていた。
「てめえ!」
ホールに下り立ったトオヤの胸倉を掴んで、こぶしを振り上げる。
「よくも小夜にあんなことっ…!」
湧き上がる怒りのままトオヤの顔に振り下ろしたこぶしは、寸前でロキの手に遮られた。
朱里のこぶしを握って押し返しながら、ロキが表情を乱すことなく告げる。
「やめておけ。ここで騒ぎを起こせば、すべてが台無しだ」
いさめるようにじっと目を覗き込まれて我に返る。
視線をトオヤに移せば、彼もまた涼しい顔で朱里を見ているばかりで、少しの抵抗の気配もなかった。
そこでようやく朱里は気づく。
ロキの制止がなければ、朱里はこのままトオヤを殴っていた。
その結果、警備を呼ばれて朱里は再び牢に収監、もしくはすぐさま処刑となっていたに違いない。
トオヤはそこまで考えて、あえて抵抗しなかったのだ。
目の前で冷めた視線を向けるトオヤに怒りを覚えながらも、朱里は彼の服の襟を掴んだ手をなんとか引き剥がした。
油断すれば今すぐにでもその顔面を殴りつけてしまいそうなのを、歯を食いしばって耐える。
「それでいい」
横からそう呟く声がして、朱里を押しどけるようにロキが朱里とトオヤの間に割って入った。
朱里と違い、その横顔は落ち着き払ったものだ。
朱里が自分の浅はかな行動を悔いている前で、ロキは淡々と声を発した。
「我が国の囚人が失礼をした。心より詫びよう」
「我が国の囚人?」
オウム返しした後で、トオヤの口から馬鹿にするような笑みがこぼれた。
「何か勘違いをされてらっしゃるのでは?その者は我が王女に暴力を働いた、我が国の囚人のはずですが?」
対するロキからも笑みが漏れる。
「お前こそ何を勘違いしている。小夜姫は俺の婚約者、つまり俺のものだ。それに手を出したこいつを裁く権利は、当然俺にある。よって、この男の身柄はシルドラが引き受ける」
わずかにトオヤが眉根を寄せるのが、朱里からも見て取れた。
ロキの弁には少し引っかかる節もあるが、それでも有無を言わせないものがあった。
「第一、お前にはこの囚人を正式に裁く権限など与えられていないだろう。無理にでも執行すれば、後々姫から非難を浴びるぞ」
ロキの出した姫という単語に、トオヤがニヤリと口の端を持ち上げた。
「そんなこと、目覚めるかどうかも知れない人から非難などされようもありませんよ」
今度こそその顔面を殴りつけてやろうと、朱里がこぶしを握り締めて足を踏み出したときだった。
朱里より一歩早く、ロキがトオヤの胸倉を掴んでその顔を睨みつけていた。
思わず唖然とその光景を見守る朱里の前で、ロキがトオヤに吐き捨てる。
「…運がいいな。ここが俺の国なら、即刻その首切り落としてやるところだ」
突き飛ばすようにトオヤから手を離すと、ロキは何事もなかったかのように背を向けて歩き出した。
「行くぞ。これ以上ここにいると腐る」
平静を装ってはいるが、体の横に流したこぶしは色が変わるほど握り締められたままだ。
朱里は頷いてみせてから、トオヤを一瞥して言った。
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