男の視線が、いまだ赤面したままの朱里を捉えた。
「目撃者はお前だけだ。教えろ。あの夜、何があった」
その瞳を受け止めながら、朱里は自分が目にした真実を口にした。
「あいつが…トオヤが小夜をそこから突き落としたんだ」
テラスに目をやった途端、朱里の脳裏をあの夜の光景がよぎった。
テラスの向こうに消えていく小夜と、笑みを浮かべたトオヤ。
思い出しただけで怒りがこみ上げてくる。
「やはりそうか」
ある程度予想はしていたのか、赤髪の男が息を吐いた。
「だが、なぜそんなことになった」
次いで投げかけられた問いに、朱里は口ごもる。
「それは…」
小夜とトオヤの間にどんなやり取りがあったのかは朱里にも分からない。それでも小夜の乱れた服装を見れば、嫌でも想像はついた。
トオヤは無理やり小夜を手に入れようとしたのだ。
城主のために仕えたいというトオヤの夢が、歪んだ形に変わってしまったのは明白だった。
「…言えない」
それだけ答えて口を噛み締める朱里に、赤髪の男が淡々とした調子で尋ねた。
「姫の尊厳に関わることか」
「…そうだ」
返事はそれで十分のようだった。
すべてを悟ったらしい男が苦々しげに吐き捨てた。
「…虫唾がはしるな」
朱里もまったく同じ思いだった。
トオヤに対する怒りは胸の中で炎を上げ激しく燃え続けている。鎮火することはないだろう。
自分の野心のために小夜を辱め、挙句にその命までも奪おうとしたトオヤこそ、誰よりも罰を受けるべきだ。
朱里の瞳に暗い炎が宿ったとき、赤髪の男が口を開いた。
「だが罪人であるお前がそう証言したところで、誰も聞く耳は持たんだろうな。姫が目覚めないかぎり、お前の処刑は避けられない」
青い瞳を小夜のほうに向け、男は淡々と現実を口にした。
「お前には時間がない。このままここにいても死を待つだけだ」
「何が言いたいんだよ」
意味を測りかねて尋ねる朱里に、男は涼しい顔で言い放った。
「俺がしばらくお前をかくまってやろう。少なくとも、姫が目を覚ますまでは俺の下で身を隠せ」
「は…」
予期しない提案に、朱里は目を白黒させて男の顔に見入った。
腹の裏を探るようにその青い瞳を凝視するが、一向に男の狙いは見えてこない。
「ちょっと待て。よく知りもしないあんたに従うつもりはない。それに、小夜一人をこんなところに残して行けるわけないだろ」
無防備に眠る小夜に視線を落とす。
この城内には今もまだトオヤがいる。
小夜を一人にしてしまえば同じ悲劇を繰り返すのは目に見えている。
そして今度こそ、小夜の命は奪われてしまうかもしれないのだ。
そう考えれば、二度と小夜の側を離れる気にはなれなかった。
「俺はどこにも行かない。ここで小夜が目を覚ますのを待つ」
頑なに言う朱里に、赤髪の男からあからさまなため息が漏れた。
「何度も言わせるな。お前には姫の目覚めを待つだけの猶予は残されていない。お前に残された道は二つだけだ。このまま大人しく処刑されるか、もしくは、俺の元に逃げて生き延びるか。答えは明らかだろう」
「でも…それじゃあ小夜が」
朱里はなおも食い下がる。
自分の命を優先したところで、小夜に何かあれば意味がない。
男の提案が仮に善意からくるものであったのだとしても、小夜の身の安全に叶うものなどないのだ。
「案ずるな」
男は面倒くさそうに腕を組むと、側で見守っていたトールにあごをしゃくった。
「俺の側近をここに残していく。それで問題はないだろう」
「え?」
朱里とトールから、ほぼ同時に声が上がる。
思わず朱里が視線を転じると、トールは明らかに初耳だというように目を見開いていた。
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