ぴちゃん、と水滴の落ちる音に、朱里は抱えた膝を胸に押しつけた。
指の間から滴り落ちる血の映像が、閉じたまぶたの裏で繰り返し再生される。
今もまだ、手には生々しい感触が残っていた。
まるで悪夢だ。いや、夢ならどんなによかったか。
現実ほど残酷なものなんて、本当は存在しないのかもしれない。
あれから何日が経ったのだろう。
あの後小夜がどうなったのか、すぐさま投獄された朱里には知ることもできない。
ただ、脳裏に焼きついた血溜まりの記憶が、暗に小夜のその後を表しているような気がして、朱里はたまらず顔を膝に埋めていた。
頭を支配するのは、自分に対する怒りだった。
トオヤの側に小夜を置き去りにしてしまった馬鹿な自分も、小夜を危機から救うことのできなかった間抜けな自分も、すべてが憎くてたまらなかった。
できることなら、このまま闇に潰されて消えてしまいたい。
大事なものすら守れず、ただ呼吸を繰り返すだけのこの体に、一体何の意味があるのだろう。
今はただ罰が下るのを待ち焦がれるばかりだ。
身を丸めて座り込む朱里の耳に終末の足音が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってのことだった。
何度も耳にした金属扉の開く音に続いて、靴裏を地面の石に打ち付ける足音が響いた。
朱里はほっと安堵する。待ち望んだ裁きのときが来たのだ。
誰でもいい。早く自分に罰を与えてくれ。
死刑執行人の登場を待つべく顔を上げると、外から差し込む光が鉄格子の前の通路をぼんやり照らしているのが見えた。
そこに靴音を鳴らしながら一人の男が姿を現した。
初めに鮮やかな赤い髪に目が留まり、次いで透き通るような青い目に視線を奪われる。
まるで男の周りにだけ突如色が生まれたようだった。
漏れ落ちる明かりを浴びながら、男は朱里をその双眸に捉えて不敵に笑ってみせた。
「やっと会えたな、恋敵」
まるで場にそぐわない謎の台詞と、想像とはかけ離れた人物の登場に、朱里は思わず口をぽかんと開けて男に見入った。
誰だ、こいつは。
一番に頭に浮かんだのがそれだった。
記憶の中を洗いざらい探るが、どこにもこんな男の情報はない。
そもそもこれだけ目立つ出で立ちと態度だ。一度でも会ったことがあれば忘れるわけがない。
男の格好からすると、朱里を迎えに来た処刑の執行人というわけでもなさそうだった。
「あんた…誰だ」
警戒を剥き出しにして睨みつける朱里に、男が腕を組んで言う。
「自己紹介は後だ。それより、お前に尋ねたい」
男の顔から笑みが消えて、青い瞳がじっと朱里を見つめてきた。
腹の中まで見透かすような視線に、朱里は居心地の悪さを感じて口をつぐむ。
男は朱里を真っ直ぐ見据えたまま口を開いた。
「姫を突き落としたのは、お前か?」
とっさに朱里は首を振っていた。
「違う。俺じゃない」
否定した後で、言葉を探して視線を膝の上に落とす。
「でも、あいつがあんなことになったのは間違いなく俺のせいだ…。城に戻るよう言ったのも、側から離れたのも…全部、俺が選択肢を間違えたから…」
再び自分に対する怒りがふつふつと湧き上がってくる。
男から声がかかったのは、朱里が深い後悔に唇を噛み締めたときだった。
「違うだろう。結果論で考えるな。何一つ間違えることなく正しい選択のできる人間がどこにいる。悪いのはすべて、直接姫を手にかけた人間だ」
男の言葉には微塵の迷いもない。
確かに男の言うとおりだ。
トオヤがすべての元凶なのは朱里にだって分かっている。
彼がどれだけ歪んだ理想を抱き、そのためなら手段を選ばないだろうことも知っていた。
知っていて、何もできなかった。
だからこそ自分に腹が立って仕方がないのだ。