小夜は真っ直ぐにトオヤの瞳を見つめると、こぶしを強く握り締めた。
臆しちゃ駄目だ。
自分が背負うもののためにも。
「…いいえ、トオヤ。あなたに譲るものは何もありません。この国も民も要らないものなんかじゃない。お父様から受け継いだ大事な宝です…!」
トオヤが小夜を見下ろして苦笑を漏らした。
「急に惜しくなったというわけですか。その宝とやらが、あなたを苦しめている元凶でしょうに」
「…確かに、苦しいことも辛いこともたくさんあります。でも、この国を守るために必要なら、どんな苦労も結婚だって厭いません」
自分が背負っているのは国だけじゃない。
小夜の後ろには何千何万という国民の生活がある。
守らなければならないのは、この城下に広がる家々の灯りすべてだ。
「大切な国民の命を無責任に人に委ねることはできません。この苦しみも責任もすべて私のものです。あなたには何一つ渡したくありません!」
自己犠牲だなんて思ったことはない。
この町の民は一度裏切ってしまった自分を、当たり前のように温かく迎え入れてくれた。
その人たちの思いに応えるために、自分にできる精一杯のことをしたいだけだ。
トオヤと同じように、小夜にだって夢がある。
恒久的に続くこの国の平和。
すべての人の日常が何者にも脅かされないための強い盾を、自分の手で築いていきたい。
この夢は、誰にも譲ったりしない。
自分だけの夢だ。
真摯な視線を向ける小夜に、トオヤの口がゆっくりと開かれた。
「そうですか…」
それだけ告げて、トオヤは黙る。
その涼しい表情からは、何を考えているのか読み取れない。
それでも、小夜は願う。
自分の思いが彼に伝わってほしいと。
残酷な願いかもしれないが、できることならこれからも自分を支え続けてほしいとも。
小夜の眼前に手が伸びてきたのは、祈るようにトオヤの顔を見上げたときだった。
広げた指の間から、トオヤがにっこり笑うのが見えた。
「それなら仕方がありませんね。あなたは私の夢の障害にしかなり得ないみたいだ」
視界いっぱいに大きな手のひらが迫る。
「さようなら、愚かな王女様」
そのとき、どこかで扉の開く音が聞こえた気がした。
次いで、聞き覚えのある声が自分の名を叫ぶ。
あれ、と思った瞬間、小夜の視界はぐるりと反転していた。
足の先が宙に浮いて、体が空に投げ出される。
眼前に満天の星空が広がった。
その中を落ちていきながら、いつだったか同じように星空を見上げて、隣で彼がこう言っていたのを思い出した。
『なんだよそれ、今生の別れみたいに。これからだって一緒だろ』
明るく笑う彼の横顔に手を伸ばしたところで、目の前が真っ暗になった。
そうして、それっきり何も見えなくなった。
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