ライラから返事はなく、ただぽっかり開いた口から乱れた呼吸音だけが響く。

その両手に抱えられた盆から、ポタポタと何か汁がこぼれているのを見て、朱里は顔を引きつらせた。

「…皿の中のもん全部こぼれてるみたいなんだけど…まさかそれ、俺の夕飯?」

ライラの口がぱくぱくと動く。

「え?」

聞き返した朱里の前で、ライラの手から盆が滑り落ちた。
派手な音を立てて皿の中身が床に散らばる。

「お前な…!」

何やってるんだよ、そう注意しようとしたところで、突然ライラが鉄格子を掴んで詰め寄ってきた。

「お願いです!助けて!」

必死な形相に驚いて後ずさる朱里に、顔をくしゃくしゃにしたライラが震える声で叫んだ。

「小夜様を助けてくださいっ…!」


***



思うように体が動かない。手に力が入らない。

震える両手で自分に覆い被さるトオヤの胸を押し返しながら、小夜はぎゅっと目をつむった。

こんな行為は知らなかった。
彼と肌を合わせたあの夜とは何もかもが違う。ただただ気持ちが悪い。

こみ上げてくる吐き気に必死で耐えていると、頭上からトオヤの声が漏れた。

「これは…?」

小夜の首元で金属同士のこすれる小さな音が鳴る。

見れば、トオヤが小夜の首から下がったネックレスに触れていた。
月明かりを受けて、花びらの中央にはめ込まれた石がきらりと光る。

一瞬、ネックレスを差し出してくれたときの彼の顔が甦って、小夜は手を伸ばした。

「それに触らないでください…!」

「ああ、彼からもらった物ですか」

さして興味もなさそうにトオヤが言う。

軽々と小夜の手を避けると、彼は少しの躊躇いもなく首からネックレスを引きちぎり、自分の眼前にぶら下げてみせた。

「ずいぶんと安物のようですが」

小さく揺れる花びらに一笑する。
頭に血が上った。

「返してください…!」

必死の思いで伸ばした手は、しかし空を掻くだけで届かない。

「こんな安物を、よく王女であるあなたに贈れますね。あまりに不釣り合いが過ぎるでしょう」

そう言ってトオヤが鼻で笑った。

彼と自分が不釣り合いなのだと否定されたような気がして、悔しくて目尻に涙が浮かぶ。
気づけばトオヤを睨みつけていた。

「…黙りなさい!トオヤ!」

何も知らないこの人に、このネックレスの価値なんて分からない。
どれだけ彼が勇気を出して差し出してくれたのか、何も知らないくせに馬鹿になんかされたくなかった。

「今すぐ返して!」

強い視線で訴える小夜に、トオヤが興ざめしたというふうにネックレスを無造作に床に放り投げる。

「たかがこんな物くらいで」

吐き捨てたトオヤを睨んで、小夜は思いきりその胸を突き飛ばした。

よろめいて腰を落とすトオヤの横をすり抜け、ベッドから転がり落ちるように床に下りる。

顔を上げた先に投げ出されたネックレスを拾い上げ、そのまま開いたままの窓を抜けテラスに躍り出ていた。


行き止まりなのは分かっている。
それでもとっさに足がこちらを選んでいた。

無意識のうちに、奇跡が起こることを願ってしまったのかもしれなかった。


手すりに身を寄せ、手の中のネックレスに目を落とす。

チェーンがちぎれてはいるものの完全に壊れてしまったわけじゃない。
これなら大丈夫、まだ直せる。

ほっと息をついてネックレスを握り締めたときだった。


「いつまで自分を捨てた男のことを、未練がましく慕い続けるおつもりですか?」

背後から冷たい声が突き刺さった。

テラスに下りてきた靴音が小夜のすぐ後ろで止まる。

背を向けたままの小夜に、無情な声がさらに告げた。

「彼のほうは今頃、新しい女性の相棒でも見つけて、楽しくやってるかもしれないのに」


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