「は、はい。すみません」
なぜだか謝ってしまう小夜の顔を覗き込んで、ロキが不思議そうに首を傾げた。
「強いのか弱いのかよく分からん奴だな」
すぐ鼻先で見つめられて、思わず小夜もロキの顔を見返してしまう。
こうして至近距離で見ると、本当に瞳の中に小さな海が広がっているみたいだ。耳を澄ませば、波の音まで聞こえてきそうな気がする。
その瞳の向こうにシルドラの海を思い返していると、ばつが悪そうにロキが身を引いて言った。
「普通ここは、お前が恥じらって目を逸らすところだと思うんだが」
腕を組んで横目でこちらを見る姿は若干不服そうだ。
こういうときのロキは途端に幼く見える。
小夜は笑って答えた。
「すみません。ロキ様の目の色が海のようで、シルドラのお城から見た景色を思い出していました」
協定が上手く結ばれれば、また訪れることもあるのだろうか。
あの、夢のように美しくて、どこか寂しくなる場所に。
小夜の心の声が漏れていたのだろうか。ロキが一言呟いた。
「またすぐに見られる」
「え?」
どういう意味だろう。
その続きを待っていると、ロキが改めて小夜に視線を向けてきた。
「本題に戻ろう。協定の件だ」
その言葉に小夜も表情を引き締める。
真っ直ぐこちらを見下ろして、ロキが言い放った。
「我がシルドラは、マーレンと協定を結ぶことに賛同する」
「それじゃあ…!」
「ただし、条件が二つほどある」
一旦撫でおろした胸に、再度緊張がはしった。
もちろん考えなかったわけではない。
マーレンとシルドラ間の経済差は歴然としている。
後ろ盾のほしいマーレンに対し、シルドラにはさほどこちらと協定を結ぶメリットはないはずだ。
ならばマーレンに圧倒的不利な条件を提示されることも、覚悟していなければならなかった。
言ってみれば、ここからが本題だ。
口内の唾を飲み込むと、小夜は体の横に流したこぶしを握り締めた。
見上げる先で、ロキの唇が次に続く言葉を形作る。
「まず一つ目に、我が国の一部民の受け入れを認めること。もちろん罪人でもなければ、野蛮な輩というわけでもない。マーレンでも十分な労働力として働いてくれるだろう。彼らに国民としての権利と、生活するための土地を与えてほしい」
拍子抜けと言えば聞こえは悪いかもしれない。
だが、どれだけ厳しい条件を突きつけられるのか手に汗を握っていた小夜からすれば、ロキが提示した一つ目の条件はあまりに簡単なものだった。
「分かりました。マーレンに国民が増えるのは私としても有り難いことです。喜んでお引き受けします」
安心から思わず顔が緩んでしまう。
人数の詳細が分かれば、すぐにでもトオヤに相談して適当な土地を探すようにしよう。
今後の流れを頭の中で思い描く小夜の前で、ロキが再度口を開いた。
「そして、二つ目の条件だが」
思考を中断して、ロキの顔に向き直る。
こちらを見つめる瞳と視線が交錯した。
「姫が俺と婚姻を結び、我が后としてシルドラ城に入ることだ」
「え…」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
婚姻?后?
当然知らない言葉ではないはずなのに、うまく意味を捉えられない。
唖然として立ちすくむ小夜の前で、ロキが一人話を進めていく。
「せっかく協定を結ぶのなら、俺はそれを可能な限り遠い未来まで維持していきたい。国の将来を思えば、二国間に血の繋がりという結びつきがあったほうが協定はずっと上手くいくだろう」
言っていることは十分に理解できる。自分の冷静な部分がそのとおりだろうとも告げてくる。
だけど、この胸に生まれた躊躇いは何だろう。
「それに」
その言葉に我に返ると、自分を見下ろして笑みを浮かべるロキと目が合った。
「どうも俺はお前を気に入っているらしい。マンネリした城での暮らしも、お前なら面白おかしくしてくれそうだ」
「ありがとうございます…」
惰性で頭を下げる小夜にロキが言う。
「それは条件を飲むという意味か?」
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