五分ほど経った頃だろうか、再び朱里の部屋の扉が開かれた。
そっと抜き足で入ってくるのは、数分前と同じ小夜である。
ただ唯一先ほどと違うのは…。
「…お邪魔します…」
小さく囁いて、小夜がするりと朱里のベッドの中に体を忍ばせてきた。
しかも、ちゃっかり寝間着に着替えて。
「うわぁ、温かいですー…」
朱里と同じように肩まですっぽり毛布に潜り込む小夜。
どうやら朱里と一緒に寝るために、わざわざ寝間着に着替えてきたらしい。
ふにゃあと頬を緩ませた小夜は、そのまま朱里に体を寄せると静かに目を閉じた。
…なんだかポカポカ暖かいな…。
しかも花の香りもする。
…あれ…?
今って春だったっけ……
心地よいまどろみの中、ゆっくりと朱里は瞼を開いた。
一瞬、太陽の降り注ぐ花畑の中にいるような錯覚が朱里を包んだが、よくよく見ればどうということはない。
宿の部屋の白い天井が広がっているだけである。
「…あれ…?」
どこから花の匂いがしてきたんだろう。
この部屋にはそんな洒落た物なんて、飾られてた覚えもない。
でも、確かにさっきは花の甘い香りがした…。
覚醒直後の気だるさが残る頭をゆっくり巡らせると、自分のすぐ隣に何かがいるのに気づいた。
「………?」
かすむ目をこすりながら、朱里はそれに顔を近づける。
なんだ、これ…。
ぼやけていた視界が徐々に澄み渡ってきた。
そして、朱里の目が確かにその正体を捉えたとき。
「どわぁぁああああっ!!」
朱里の頭は完全に覚醒した。
あまりの驚きに絶叫して跳び起きた朱里の後頭部が、思いきり背後の壁に激突してゴツッと音を立てる。
驚愕に加えさらに壮絶な痛みにまで襲われ、朱里は頭を抱えしばしの悶絶。
ようやく涙で潤んだ目を前に向けると、この騒ぎの中未だすうすう寝息を立てて眠る小夜の姿があった。
「な、なんでこいつ…いつの間に…」
朱里自身、自分から引き入れた覚えは微塵もないし、第一間違ってもそんなことはしない。というかできない。
「こいつが自分から忍び込んできたに違いない…」
眠る小夜の顔をしげしげ見つめていると、また先ほどの花の香が朱里の鼻をかすめた。
どうやら花畑の錯覚は、側にいた小夜が引き起こしたようだ。
「とにかく、まずはこいつ引っ張り起こして……さむっ」
突如悪寒を感じて、朱里は背後を振り返った。
すると視界に映った窓の向こうに、思いがけず冬の到来が訪れているのが見えた。
ちらほらと白い淡雪が、灰色に染まった宙空を舞い始めている。
「うぅっ、どうりで寒いわけだ…。このままじゃ死ぬっ…」
あまりの寒さに何か羽織る物を、と周囲を見回す朱里の目前には、暖かそうな毛布。
小夜というオプションがついているものの、極端に寒さに弱い朱里がその毛布の誘惑から逃れられるはずもない。
「…っ仕方ねぇ…こんなこと今日だけだからな!次は駄目だからな!」
眠る小夜に聞こえるはずもないのに、やたら釘を刺す朱里。
そのまま冷気から逃げるように毛布に潜り込んだ朱里の体を、一瞬にして暖気が包み込んだ。
「あー…やべ。あったけぇ…」
体の芯までほぐしてくれる何とも言えない心地よさ。
さらに隣で眠る小夜から香ってくるのは、優しい花の香。
目を閉じた瞼の裏には、そのときはっきりと花咲き乱れる春が見えた。
冬の訪れを告げる初雪が舞う中、朱里は季節はずれの春を感じてそのまま意識を手放したのだった。