窓の外ではちらちらと雪が降り始めているようだ。
黒い世界に白い綿が舞い降りてくるのをぼんやり眺めながら、小夜は肩にかけた毛布をきゅっと引き寄せた。
「積もらないといいねえ」
後ろから女性の声がして、小夜は笑顔で振り返る。
「今夜は泊めていただいて本当にありがとうございます、サニさん」
「放っとけなかったからねえ。温かいミルクはどうだい?」
サニと呼ばれた中年女性に促されるまま暖炉の側のテーブルにつくと、小夜の前にカップを置いて、向かいの席にサニも腰を下ろした。
湯気の立つカップを手にとり、そっと口をつける。
お腹の中まで温かさが伝わって、小夜はほっと目を細めた。
サニはそれを見守るように黙って座っている。
家の中には小夜とサニ、二人の他は誰もいない。
サニの年齢からすると、夫や子どもがいてもおかしくなさそうだが、元からここはサニ一人で暮らしているようだった。
夕食の間も、「人と一緒に料理を食べるのは久々だねえ」とサニは笑っていた。
カップの中の乳白色のミルクを見つめながら、小夜は口を開く。
「サニさんはここにお一人で、寂しくはならないのですか」
向かいの席でサニが目を丸くさせた後、小さく微笑んだ。
「もう一人でいることが当たり前になっちゃったからねえ。これでも昔は主人がいたんだけどね」
「ご主人が?」
「そう。ほら、そこの写真立てにあるだろう。もう何十年も前の写真だけど、あの人が写ってるのはあれくらいしかなくてね」
サニの視線の先には、小棚の上に置かれた写真立てがあった。
小夜は席を立つと、その写真を手に取る。
仲の良さそうな若い男女が並んで写っていた。
二人とも笑顔を浮かべて幸せそうだ。
「素敵な写真ですね」
振り返ると、サニがはにかむような笑顔を浮かべていた。
「その頃はとにかく二人でいればそれだけで幸せでね。毎日毎日飽きもせずいろんな話をして笑い合ったもんだよ」
昔を懐かしむサニの顔はとても穏やかだ。
小夜も無意識のうちに脳裏に相棒の姿を思い浮かべていた。
二人でいればそれだけで。
小夜の意識を引き戻すようにサニの言葉が続く。
「でもね、ある日突然あの人が倒れちまって。それっきりさ。まさか一人残されるなんて考えてもみなかったから、当時はかなり落ち込んだもんだね」
「それから、ずっと?」
「そうなるね。時間が経つのはあっという間で、あたしもいつの間にやらこんなおばさんさ」
おどけるように肩をすくめてみせるサニ。
小夜は再び席に着くと、ぎゅうっとカップを握り締めた。
それに気づいたサニが、言葉を付け足す。
「でもね、あたしには思い出がたくさんあるから」
「思い出?」
顔を上げる小夜にサニが大きくうなずいてみせる。
「そうさ。誰より大切な人と過ごした思い出がある。大事な大事な思い出がね。だから寂しくなんてないんだよ」
にっこりと笑ってみせるその顔には、時の流れを思わせる深い皺がいくつも刻まれていたが、それでも写真に写る幸せそうな少女の面影が色濃く残されていた。
「お嬢ちゃんにもいるんじゃないのかい?そういう人が」
「私には…」
小夜が言葉を詰まらせたときだった。
外へ繋がる扉がこんこんとノックの音を響かせた。
「あら?こんな時間にお客さんとは珍しいねえ」
サニが扉に向かうのを小夜もぼんやり眺める。
「はいはい、今開けますよ」
扉が解放された途端、雪の粉とともに冷気が部屋の中に流れ込んで、小夜は思わず目を細めた。
「あらまあ!」
サニの声に再び目を開くと。
「──やっと見つけた…!」
扉の前に息を切らして立つ朱里の姿があった。
「朱里さん…」
おそるおそるテーブルを離れ、扉の前に近寄る。
サニが小夜を支えるように背中に手を添えてくれた。
朱里はどのくらい探していたのだろう。
髪は風で乱れ、コートにはうっすらと白い雪が積もっていた。
ここまで走ってきたのか、肩で息をしている。
視線を合わせられずにうつむいていると、頭上から朱里の声がした。
「あー…その、なんだ。時間も遅いことだし、そろそろ宿に戻るぞ」
ほら、と手が差し伸べられる。
だが小夜にはその手を握ることはできなかった。
視線を床に注いだまま、小夜は一歩後ずさる。
「ごめんなさい、行けません」
朱里が息を呑むのが分かった。
「私にはもう帰る場所なんてありませんから…」
それだけ告げて、小夜は扉を押し閉める。
「小夜!」と名を呼ぶ声が聞こえたが、それにも気づかないふりをした。