「はああああああ」
先ほどどこかで聞いたような長いため息をついて、小夜は空を見上げた。
雪は降っていないものの、冬特有の重い鈍色の空がどんよりと広がっている。
きゅっと口元を引き締めて、小夜は再び通りを歩きだす。
ショックだった。
まさかあんなことを言われるなんて。
小夜の脳裏で朱里の言葉が繰り返される。
“お前なんか大っ嫌いだ!城へでもどこへでも帰っちまえ!”
思い出した途端に、涙で目の前が歪む。
「う…」
涙腺が壊れてしまったのではないかというほどぼろ泣きをしながら、それでも小夜は歩き続ける。
通りすがる人が驚いたように小夜を振り返るが、人目を気にすることもなく小夜は泣き続けた。
「朱里さんのばか…」
帰る場所なんてどこにもない。
ただひたすら歩くしか、小夜には術がなかった。
冬場は昼の時間が短い。いつの間にか周囲は夜の色に染まりつつあった。
あてもなく街をさまよい歩いていた小夜は、途方に暮れたように通りの隅にしゃがみ込んだ。
これからどうしよう。
涙を堪えて石畳の通りをじっと見ていたときだった。
すぐ目の前に黒い影が伸びた。
「どうしたんだい?具合でも悪いのかい?」
仰ぎ見れば、夕陽を背に恰幅のいい年配の女性が心配そうに見下ろしてきていた。
小夜は慌てて立ち上がる。
「ごめんなさい!ちょっとぼうっとしてて」
「そうなのかい?元気ならいいんだけど。もうじきに日も暮れるし、あんたみたいな薄着じゃ夜は冷えるよ。早く家に帰りな」
女性の言葉に、小夜は無意識に呟いていた。
「…帰る家なんてないです…」
女性が目を丸くさせるのに気付いて、小夜は取り繕うように笑顔を浮かべる。
「いえっ、なんでもありません」
そのまま足早に立ち去ろうとしたところで、誰かに腕を掴まれた。
振り返れば先ほどの女性が穏やかな笑顔を向けていた。
「行くところがないんなら、うちに来な。ちょうどこれから夕餉の支度をするから手伝ってくれると有難いよ」
「……おかしい」
ベッドの上で両腕を組み、胡坐をかいた状態の朱里がぽつりと呟いた。
彼の眉間には深い皺が刻まれている。
「いくらなんでも遅すぎる」
ちらと横目に見た窓の外は完全な闇に沈んでいる。
ちょうど夕食時だ。
それにも関わらず小夜が戻ってくる気配は一向にない。
腹が減れば戻ってくる。
先ほどから自分に言い聞かせてはいるが、どうにも落ち着かない。
今にも扉を開いて、おずおずとばつの悪そうな顔をのぞかせるんじゃないかと視線を泳がせてしまう。
「…やっぱり何かあったんじゃ…」
頭によぎるのは最悪の事態ばかりだ。
酒場に行くとか言ってが、まさかそこでたちの悪い輩に絡まれたんじゃないかとか、街を歩き回って迷子になってるんじゃないかとか。
最悪、本気でマーレンの城に帰ってしまったのではないかとまで考える始末だ。
想像すればするほど、悪い方向に考えてしまう。
“朱里さんなんて嫌いです!”
「あー、くそっ」
頭をがしがしと掻いて、朱里は決意の目を窓の外へ向けた。
「嫌いだろうが何だろうが、こっちの知ったことじゃねえ。引きずってでも連れて帰ってやる」
コートを掴むと、朱里はそのまま勢いよく部屋を飛び出していった。