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陽だまりの中で
赤い水たまりの中で、冷たくなっていくその人を抱いて泣く自分がいた。
その人は真っ赤な脇腹を、同じく真っ赤に染まった手で押さえて「止まらないな」と言って笑っていた。
自分に寄り掛かる重みが少しずつ増して、その人から言葉が消えた頃。
私は、一人になった。
赤い海の真ん中で、大事な人の亡骸を抱いて、私はただただ涙を落とした。
まぶたを開くと、頬に冷たい名残があった。
そっと指の腹で触れる。濡れていた。
まだ夜は明けていないようだ。薄闇に覆われた部屋の中、ゆるゆると半身を起こして辺りを見る。
誰もいない。シーツに残っているのは自分の体温だけだ。
なぜだろう。
さっきまでこの手で抱いていたはずなのに。
冷たくなっていくあの人を抱き留めていたはずなのに。
足の間に投げ出した両手には何もない。冷たい空気がかすめていくばかりだ。
辺りはぞっとするほどの静けさに包まれている。
無性に怖くなって、自らの肩を抱いていた。
つい今のことだ。
重く閉ざされたまぶたを縁取る睫毛も、「小夜」と呟いてそのまま動かなくなった口元も、はっきり覚えているのに。
まるで現実のことのように。
ベッドを抜け出すと、冷たい床の感触が容赦なく素足の裏を刺してくる。
さまようように隣室へ繋がる扉を開くと、そこにも今までと変わらぬ闇が広がっていた。
中にぼんやりと一つのベッドが浮かび上がっている。
引き寄せられるように無言のまま側に歩み寄った。
毛布にくるまれた膨らみ。
側の窓から注がれる仄かな月明かりに照らされて、銀色の髪の毛が星に似た光を弾いている。
そして、その下には見慣れた穏やかな寝顔があった。
夢で見たのと同じ、安らかな顔。
思わず口元に手を伸ばして呼気を確認してしまう。
なぜだろう。
ふいに目の端から涙がこぼれた。
嬉しいのか、それとも怖いのか、自分でも分からなかった。
それでも、触れたい、温もりを確かめたいと心から思った。
涙を拭うこともせずベッドに上がると、眠るその人の背中にしがみつくようにして横に並んだ。
自分よりもずっと広い背中に耳を寄せる。
鼓動が聞こえた。
とく、とく、とく。
大丈夫。ちゃんと動いている。ちゃんと温かい。
今度こそ安堵して目を閉じる。深い眠りに落ちるのにそう時間はかからなかった。
あまりの驚きに声が出なかった。
朱里は自分の腕の中に収まったものを見て、起床早々こぼれんばかりに目を見開いた。
腕の中で気持ちよさそうに眠るもの、それは相棒の小夜だった。
一体どういうわけか、隣室をとっていたはずの小夜が、夜のうちに自分のベッドに移動してきたらしい。
しかも朱里の服を握り締めるようにして熟睡しているようで、離れようにも身動きがとれない状況だ。
「なんなんだ、こいつは…」
呆れ顔で小夜の顔を何気なしに見た朱里は、その頬に残った跡に気づいた。
怖い夢でも見たのだろうか。それで親に泣きつくように朱里の元へ来たということなのか。
相変わらず子どものような奴だ。
起き上がるのを諦めて、顔だけ横に向ける。
窓の外は快晴だ。今日は何をしようか。
そこで再び相棒に視線を向ける。
完全に安堵しきった寝顔からは当分目覚める気配はない。
「こりゃあ今日は一日休息日になるかな」
やれやれと息を吐いて小夜の頬にかかった髪の毛をよけてやると、朱里は朝のまどろみを楽しむことにした。