月明かりだけが射しこむ仄暗い部屋の中、衣擦れの音が響く。
「おいこら、あんまりくっつくなって」
「それじゃ克服にならないですよ」
ベッドの上では、横向きになった朱里の腕の間に小夜が体をすり寄せていた。
朱里の胸に小夜がぴったりとくっつく形だ。
「ちょっ…本気でくっつきすぎだって」
胸に押しつけられる感触に、朱里の理性は爆発寸前である。
「でもこれくらいしないと…あれ?朱里さんからもドキドキが聞こえます」
胸元から小夜が朱里の顔を見上げてくる。
「えへへへ、私とおんなじですね」
嬉しそうに笑みをこぼす小夜。
もはや朱里にとっては苦行でしかない今の現状だが、さらに小夜がのんきに、
「朱里さん、もっとくっついてもいいですか?」
なんて訊いてくるものだから、たまったものではない。
もしかして俺は試されているのか?なんて疑いもよぎる始末だ。
「だめだ。俺がもたない」
実に素直な答えに対しても、小夜は理解できないように目をぱちくりさせるだけで。
こんなとき、小夜のあまりの世間知らずさに怒りさえ覚える。
朱里が見えない何かと戦っているのにも気づかず、小夜は早くも心地よさそうにうとうとし始めていた。
「こんな状況で寝れんのかよ…」
半分呆れつつ、朱里は小夜の肩口までしっかりとシーツをかけてやった。
そのうち寝息が聞こえ始める。
どうやら完全に眠りに就いたらしい。
朱里は息を吐くと、仰向けに転がって天井を見つめた。
月明かりで仄かに青く浮き上がった室内は静寂に包まれている。
町全体が寝静まっているのか、窓の外からも何の音も聞こえない。
かすかに耳に届くのは穏やかな小夜の寝息だけだ。
朱里はちらりと隣に目をやる。
今朝の様子が嘘のように、安堵しきった顔で朱里に体を預けて眠るその姿を眺めていると、ふいに先ほどの小夜の言葉が思い出された。
『…ほんとは、もっと触ってほしくて…』
思わず手を口元に当てて、小夜から顔を逸らす。
改めて考えると、なかなか衝撃的な台詞だ。
思い出すんじゃなかった、と後悔してみても、頭の中ではその言葉が繰り返し再生されるばかりだ。
「馬鹿か、俺は」
枕の上で大きく二、三度頭を振ると、朱里は小夜に背を向ける形で寝返りを打った。
眠気は一向に襲ってこないが、とりあえず目を閉じる。
しばしの沈黙の後。
朱里は恐々といったふうに後ろの小夜を振り返った。
小夜は相変わらず気持ちよさそうに眠っている。
その頬を何度か突いてみて反応がないことを確認すると、朱里はゆっくりとした動作で小夜のほうに寝返り、恐る恐るその体に腕を回す。
すっぽりと朱里の腕の中に収まっても、小夜が起きる気配はない。
安堵の息を漏らして、朱里は再び目を閉じた。
「ほんと馬鹿だな、俺」
小夜は自分のことをわがままだと言ったが、それは朱里も同じことだった。
小夜が怖がると分かっていても、側にいれば触れたいと思ってしまう。
とんだ自分勝手な奴だ。
(側にいるのがこんな奴で本当にいいのか、お前)
問いかけるように小夜の寝顔をじっと見つめる。
腕の中で、小夜が無意識のうちに身を寄せてきた。
まるで、朱里の問いに応えるかのように。
思わず朱里は口元を緩ませる。
とくんとくんと朱里の胸に届くのは、小さくて愛しい心臓の音。
同じように自分の音も届けばいい。
言葉はなくとも伝わる、この音が。
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