音のない言葉のように
どうも避けられている気がする。
賑やかな酒場で一人、大きなジョッキを片手に朱里は盛大なため息を吐いた。
時刻は夜も深まった頃、というわけではなく。窓からはまだ西日が差している。
「なんだってんだよ」
毒づいて、並々と注がれた小金色の液体を喉に流し込む。
空のジョッキをテーブルに思い切り叩きつけると、朱里は店主に追加を促した。
そのテーブルに他の人影はない。
相棒とは珍しく別行動らしい。
そして今回悩みの種となっているのが、他ならぬその相棒であった。
相棒、小夜は普段からのほほんとしているのが常であり、警戒心というものが欠片もない。
いうなれば小さな子どもがそのまま大人になったような人物だ。
平気で朱里のベッドに潜り込んでくるし、朱里の眼前で着替えまで始めようとしさえする。
そんな小夜が妙におかしいのだ。
よそよそしい、というか明らかに警戒されている。
それは昨日のこと。
稀な大仕事を終えた朱里たちは、宿の食堂で遅い夕食をとっていた。
お互いにかなりの体力を消耗し、スプーンを口に運ぶのも億劫な状態だった。
それでも仕事を成功させた後の充足感に満ちて気持ちは明るかった。
「せっかくだ。今夜は無理だけど明日の昼は豪華な飯に行くか」
「そうですね!美味しいものいっぱい食べたいです」
そんな他愛もないことを喋っていたと思う。
ふと小夜からの返答が途切れて皿から顔を上げると、こくりこくり舟をこぐ小夜の姿があった。
さすがに今日は疲れたのだろう。
無理に起こすのも気が引けた。
朱里は席を立つと、小夜の背に手を添えその体を抱き上げた。
相変わらず軽すぎるくらいだが、朱里も疲労がたまっている。
ふらつきながら階段を上がり、朱里はなんとか小夜とともに自室の扉をくぐった。
部屋の中は闇に沈んでいたが、灯りを点けるのも億劫で、窓際のベッドに小夜を転がすと、そのまま意識を失うように朱里もすぐ側に倒れ込んでいた。
翌朝、朱里は小さな悲鳴で目を覚ました。
「…ん?」
目をこすりつつ半身を起こす。
するとすぐ傍らに顔を真っ赤にした小夜がこちらを凝視して座り込んでいた。
「…小夜?どした?」
変な虫でもいたか?
寝ぼけ眼で周囲を見回すがシーツの上には自分たち二人以外何もいない。
こいつ寝ぼけてるのか?
朱里が小夜に手を伸ばしたときだった。
「ひゃっ」
小夜がまた悲鳴を上げて体を強張らせた。
「…は?」
思わず目が点になる朱里。
小夜に伸ばされた腕は所在なく宙を漂う。
きつくまぶたを閉じた小夜が怖がっているのは、どうやら自分らしい。
「どうしたんだよ、お前」
一瞬ためらったが、朱里は小夜の肩を掴んでその顔を覗き込んでみた。
小夜が息を呑む音が聞こえた。
「…や…」
「え?」
さらに顔を寄せると、頬を真っ赤にした小夜が恐る恐る目を開き、消え入りそうな声で答えた。
「…近寄っちゃ…やです…」
結局それから二人の間には妙な距離感ができている。
朱里が近づくとあからさまに小夜が体を強張らせるせいで、朱里は気軽に触れることもできない。
以前ムーランでもこういうことはあった。
だがそのときはすぐに小夜の緊張は解れたはずだ。
今回のような反応は初めてだった。
「一体どうすりゃいいんだよ」
くしゃくしゃと前髪をかきあげて朱里はさらにジョッキの中身を煽った。
外はだんだんと薄暗くなっている。
そろそろ帰らないと。
だがあんな状態の小夜が待つ宿屋に戻るのは、正直気が重かった。