お子様なのは
ひときわ月が明るい夜だった。
草むらでは軽やかな声で虫が鳴いている。
「もう夜か」
そうつぶやいて空を見上げる朱里の隣には、うなだれて座り込んだ小夜の姿。
二人は今、深い森の中にいた。
切り株に腰を落ち着けた二人の前では、薪が時折小さく爆ぜながら燃えている。
春先とはいえさすがに夜は冷える。肌寒さをごまかすように朱里はコートの上から腕をさすった。
本当なら、こんな時間にこんな場所にいる予定ではなかった。
目的地の宿屋で、暖かいスープでも飲んでいたはずだ。
ではなぜ、こんな状況になっているのか。
朱里はちらりと、傍らでうつむいたまま動かない小夜の横顔を盗み見た。その手には地図の描かれた羊皮紙が握られている。
そう、全てはこの地図に起因していた。
つまり、二人は迷子なのだ。
地図の勉強がしたい、と言い出したのは小夜からだった。
いつまでも朱里の後ろをついて歩くばかりでは駄目だと思ったらしい。
だが地図の勉強といっても、ある程度の知識を身に着ければ他にすることはない。結局は実践あるのみだ。
ということで、今回さっそく小夜に地図を預け、目的の街まで道案内を頼むことにした。
その間のルールは二つ。
ひとつは、道中地図の内容について、朱里からは一切の助言をしないこと。
もうひとつは、朱里が無理だと判断した時点で、小夜の道案内の任を解くこと。
結局、二つ目のルールによって、小夜の初めての道案内は失敗に終わった。
「本当にごめんなさい…」
先ほどから何度目になるだろう。小夜は同じ台詞を繰り返すばかりだ。
言ってますますうなだれる小夜が朱里のほうを見ようとしないのは、申し訳なさのせいだろうか。
「別に謝んなよ。それに」
朱里は言葉を止めて小夜の持つ地図を指さす。
「上下逆さに見てちゃ、迷うのも当然だし」
途端に、小夜の横顔が青ざめた。
「逆さ…」
わなわなと震える両手で地図の上下を入れ替え、しばらくそれを凝視していた小夜は、ようやく自分の間違いに気づいたのだろう、溢れんばかりの涙をためて勢いよく朱里に顔を向けてきた。
「ごめんなさいいい…!」
「けどさ、逆さに見てたこと以外は、わりと上手くいってたと思うぞ」
とうとう膝頭に顔まで伏せてしまった小夜に、慌てて声をかける。
「また次頑張ればいいだろ。な?」
珍しく優しい言葉をかける朱里だが、肝心の小夜はぴくりとも動かない。
「ほら、腹減ったろ。夕飯にしようぜ」
荷物の中からパンを取り出して差し出してみせる、も反応はなし。
これは重症だ。
「おーい、小夜?」
呼びかけても返答はない。
こうなっては何を言っても無駄だろう。
頭をがりがり掻いて、朱里は大きく息を吐いた。
仕方ない、しばらく放っておくか。薪の火もだいぶ小さくなったことだし、枝でも拾ってこよう。
腰を上げて、その場から離れようとしたときだった。
くい、と後ろからコートの裾を引かれた。
振り返り見れば、不安げな顔でこちらを見上げてくる小夜の姿があった。
「どうした?」
「どちらへ…」
消え入りそうな声で小夜が尋ねてくる。
「ああ、ちょっと木の枝でも探しに…」
言いかけたところで、急に小夜がぼろぼろと泣き出した。
ぎょっとした朱里は膝を折り、その顔をのぞき込む。
「なんだ、どうした!?腹でも痛いのか?」
小夜は涙を流しながら首を左右に振り、そのまま朱里の胸に顔を埋めてきた。