小夜に捧ぐ子守唄





世界は音で溢れている。

町に行けば人々の喧騒。森へ入れば鬱蒼と茂る木々が葉を揺らし、草原を歩けば風が一面の緑に軌跡を残していく。

どこへ向かっても音が絶えることはない。

だから今夜も、静かな夜とは言え、決して無音なわけではなかった。



小さな森の中。
わずかに開けた場所に、一人の男が野宿をしていた。

あぐらをかいて座る男の前には、薪が音を立てて燃えている。

男は先刻から、視線を空に転じたまま動く気配もない。

何が男の関心を引いているのか。

空を見上げても、宝石箱をひっくり返したような星空…とはとても言えない。朧月が雲と共に遠く流れているだけだ。

男はそれを飽きもせず眺めていた。

炎に照らされた男の顔には見覚えがある。

元々どこかの国の王子であった人物だ。

それが今や、一人目的のない旅を続ける旅人となっている。

いや、正しくは、目的を探すことを目的とした旅か。
男は自分の歩むべき道を探しているのだ。

闇深い夜空を仰ぐ男の横顔は柔らかい。
炎の色を映した瞳は穏やかで、口元にはかすかに笑みを湛えている。


そういえば、夜を表すのにもうひとつの言葉がある。


小夜。


男は、すべてのものが眠りに就き、世界が凪いでいるこの時が好きだった。

普段は絶対的で、何もかもを黒く塗り潰してしまう闇が、静かな夜ばかりは途端に色を変える。

まるで、女神のように慈悲深くささやき、すべての罪を許してくれるかのように。


男は自分の犯した罪を懺悔したりはしない。

ただ、後悔することはある。

そんなとき、この穏やかな闇の中にいると、なんだか救われる気がした。


* * * *



男には年の離れた弟がいた。

10年も前に国を出て以来、一度も会うことはなかったが、平穏に暮らしているだろう。

そしていつかは自分の代わりに王位を継ぐことになる。

そんな風に考え、男の中で弟の存在はほとんど記憶の片隅に消えかけていた。


だがあるとき、風の噂に弟の死を知った。


まだ、旅の目的すら持っていない頃のことだった。



男は国に戻ろうとはしなかった。

弟の亡骸と対面したいわけでもなかったし、国外追放された自分が、城に足を踏み入れられるとも思わなかったからだ。

男は以前と変わらず世界を放浪しつづけた。


時折耳に入る母国のその後に哀愁を感じることも、連鎖して頭に浮かぶ弟に哀惜の念を覚えることもなかった。

そもそも昔別れたきりの弟の顔など、思い出すのも不可能だった。



男は淡々と町を巡り、森を抜け、また町を巡ることを繰り返した。

靴底が磨り減っていくのを、まるで無意味に擦り切れていく自分の命のように感じ、これが自分への罰なのだと静かに受け入れた。

また、逃げるにしても、男の咎は呪いのように足元の影に寄り添っていて、結局歩を進めるしか術はなかった。



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