惟人が去った後は、廊下がどこか重苦しい雰囲気に包まれた。
一人佇む小夜の顔は緊張をはらんで、わずかに強張っている。

誰が待っているのか、本当に自分には全くあてがないのか。
答えは否だ。

小夜は体の横に流した手を強く握り締めて、窓の外を見た。

「…朱里さん」

相棒の名を呼んでしまうのは、不安から逃れるためのものか。それとも単なる甘えだったか。

しばしの後、その姿も廊下から消えた。


****



「──離せって!」

抵抗しながらその部屋に足を踏み入れた朱里の前には、見慣れた景色が広がっていた。

護衛団のための休憩室のはずだったが、団が解散した今そこは閑散としている。

唯一奥のソファでジライが朱里たちを振り返って小さく笑った。

「…おかえり、師匠に朱里…」


ようやく師匠の腕から解放された朱里は、苛立ちを露わにして、窓際に設けられた椅子に乱暴に腰かけた。

「ほんっと何なんだよ。ちゃんと説明してくれるんだろうな」

師匠を軽く睨みつけると、それを軽く受け流した師匠がジライの隣に深く腰を下ろした。
背もたれに両腕を乗せ天井を仰ぎ見る。

その口が開くのをじっと待っていると、背を向けた窓の外から馬のいななきが聞こえた。

左腕を窓の淵に預けて、朱里は窓ガラスに顔を寄せた。

城の門扉のすぐ側に一台の馬車が止まっているのが見えた。
そこに今ゆっくりとした足取りで小夜の後ろ姿が近づいていく。

馬車の前には見たことのない金色の髪の男が立っていた。
朱里のいる場所からは距離があるためはっきりと見えないが、若い男だ。


「誰だ、あいつ」

目を細めてじっとその男を注視する。
見知らぬ男は小夜に笑いかけているようだった。

まさか本当に花婿候補だったりするのか。

そんなことを考えて、朱里が窓ガラスに張りつくように二人を凝視していると、後ろから師匠が答えを告げた。


「マーレン城からの使者だよ」


振り返った先には、今まで見たことがないほど真剣な面持ちをした師匠がいた。

「なんでそんなやつが小夜に…」

師匠もジライも無言で朱里を見返してくる。
その表情は普段のようにふざけたものではない。

思わず朱里は口を固く引き結んでいた。

何の感情も読み取れない顔で、師匠がゆっくりと口を開いた。

「決まってるだろ」

たったそれだけ。
だが、十分すぎるほどの答えだった。


マーレン城からの使者が王女である小夜に用があるとすれば、答えは一つしかない。

城に呼び戻すためだ。


朱里は勢いよく椅子から立ち上がった。

「…止めてくる」

それだけ呟いて、二人の側を通りすぎようとしたときだった。

伸びてきた手に腕を掴まれた。

「無駄だ。やめとけ」

朱里の動きを止めて、師匠がそれだけ言う。
窓に向けられたその表情はうかがえない。

「いいから離せよ」

腕を振って払いのけようとしたが、その手が緩む気配はない。

朱里は業を煮やして師匠を睨みつけた。

「なんで止めるんだよ。師匠はそんなにあいつを城に返したいのか?ヘンネルだってそうだ。なんで小夜をあんな奴に会わせたりなんか…」

「俺がそう助言したんだよ」

間髪入れずに師匠が答えた。

あまりにその言い方があっけらかんとしていて、朱里は思わず「え?」と聞き返していた。

今師匠は何て言った?
助言ってどういう意味だ?

朱里の頭が言葉の意味を理解するより早く、師匠が続けた。

「ヘンネルは迷ってた。マーレンの民衆が王女を探してるって話を耳にして、どうするべきかな。だから俺が助言したんだ。あの子の居場所を教えるように」

朱里の瞳が大きく見開かれた。
うっすら開いた唇が小さく震える。


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