小夜が口を開いたのは、惟人の注意を受けて朱里が彼女の髪を整えてやっているときのことだった。
「…惟人さん、私ずっと考えていたんですけど」
どこか神妙な面持ちであごに手を当てた小夜は、言葉を探すように窓の向こうに視線をやった。
「本当に村長さんやお孫さんは、惟人さんを恨んでいて、惟人さんが罰を受けることを求めているんでしょうか」
「え」と惟人が声を漏らす。
「私にはどうしてもそうは思えないんです。お孫さんを亡くした後、村長さんたちが急に優しくなったっておっしゃってましたよね。もしかしたらそれは、唯一残された惟人さんだけでも大事にしていこうって思われたんじゃないかなって。もう二度と失いたくないから…。実の家族みたいに思っているから。亡くなられたお孫さんだって、惟人さんのことを恨んでるわけじゃなくて…」
遠くを見つめていた小夜の視線が惟人に戻ってくる。
窓から差し込む柔らかな日差しを頬に受けて、小夜の顔がふわりと微笑みを浮かべた。
「私だったら、大好きなお兄さんがこうして元気でいてくれることを、何より嬉しく思うんです。自分の見れなかった景色を、いっぱい見て笑って過ごしてほしいって」
注がれる日差しに、だんだんその輪郭がぼやけていく。
まばゆい光の中で、惟人は自分に笑いかける幼い少女の姿を見た気がした。
「なんだよ、それ…」
その眩しさに惟人は思わず手で目を覆う。
マリーの笑顔を見たのは何年ぶりだろうか。
おそらく前に立つ少女が見せた幻なのだろう。
それでも、なんだか少しだけ救われる思いがした。
「ヘンネルの話、受けるんだろ」
惟人の顔を覗き込んで、朱里が楽しげに尋ねる。
「そうだな。当分は罪滅ぼしのためにここにいるよ」
「そんなもんないって言ってんのに、本当にお前は頑固だな」
「長年ずっと腹に抱えてきたんだ。そう容易く割り切れるほど俺は能天気じゃないんでね」
朱里と惟人のやり取りを小夜は微笑ましく見守る。
男同士の友情は不思議だ。大きな喧嘩をしても元に戻れる。
それどころかその絆はさらに強くなっているようにも見えた。
自分に向けられる視線に気づいたのか、朱里がどうした?というふうに小夜を見返してきた。
小夜はそれに笑って答える。
「お二人とも、とっても素敵です」
「はあ?」
朱里と惟人の声が重なった。
「俺はともかく、なんでこいつも含まれてんだよ」
朱里に指を差された惟人がニヤリと笑った。
「やきもち焼いてんじゃねえよ。ガキだな」
「誰が!」
惟人に食ってかかろうとする朱里に、そのとき背後から声がかかった。
振り返れば今朝食堂で別れたはずの師匠の姿があった。
「あれ、もう城を出たんじゃなかったのかよ」
近づいてくる師匠の隣に、ジライの姿は見えない。
「まだやることが残っててな。それより小夜ちゃん、客人のご到着みたいだぞ」
言って、師匠が立てた親指を外に向けた。
窓の向こうには見慣れない馬車が止まっているようだった。
乗っている者の姿はさすがにここからは見えないが、おそらく中にいるのが、小夜に会わせたい人物ということなのだろう。
「じゃあそろそろ行くか」
惟人に軽く挨拶をして、外に向かうため歩き出そうとした朱里の肩を師匠の手が止めた。
「行くのは小夜ちゃんだけだ。お前は俺と留守番な」
「えっ?」
「なんで?」
小夜と朱里がそろって師匠を見上げる。
師匠はあごを撫でながら、
「大人の事情ってやつがあるんだよ」
答えたきりそれ以上の説明はない。
朱里の肩に腕を回して、半ば引きずるように師匠は今来た廊下を歩き出した。
「ちょっと待てよ。いくらなんでも説明が雑すぎだろ」
さすがの朱里も師匠の力押しには歯が立たないようだ。
二人はどんどん小夜と惟人の元から離れていく。
残された小夜を振り返って師匠が告げた。
「外に出れば客人も馬車から出てくるはずだ。さあ小夜ちゃん、行った行った」
わけも分からないまま小夜はとりあえず頷いて、窓の外を見た。
一体誰が自分を待っているというのだろう。
「…あのさ」
ふと、後ろから声をかけられて、小夜は背後の惟人を振り返った。
「あんたもいろいろ大変だろうけど…」
惟人は少しばつが悪そうに口を開く。
「あいつのこと、よろしく頼むよ。あんたが側にいると、あいつすげえ楽しそうにしてるからさ。今さら俺が言うのもおかしいけど、朱里を頼む」
軽く頭を下げる惟人に小夜は笑って頷いてみせた。
「はい、お任せください」
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