暇を持て余すように小夜と二人並んで静かな廊下を進む。
左側の壁一面に設けられた窓からは、相変わらず気持ちのいい日差しが降り注いでいた。
「あーあ。ほんとだったら、今頃海を目指して出発してるはずだったのにな」
腕を頭の後ろで組んで、朱里は不服そうに唇を尖らせた。
隣では小夜が不思議そうに首を傾げていた。
「私に会ってほしい方とは、どなたなのでしょうか」
まったく心当たりはないらしく、先ほどからずっとこんな感じで頭にはてなマークを浮かべている。
部屋を出る間際にヘンネルが言い残したのは、小夜に会わせたい人物がいるからもう少し城で待機していてほしい、という内容だった。
どこの誰なのかは言わなかったが、その人物は今日中には入城してくるらしい。
「ひょっとして、お前の花婿候補とかだったりして」
言って朱里はいたずらっ子のように笑う。
ヘンネルは小夜をずいぶん気に入っていたようだし、ちょうどいい相手を紹介させてほしいなんて流れも、無きにしも非ずかもしれない。
朱里の言葉に小夜はさらに「うーん」と首を傾げた。
「そうなんでしょうか?」
悩ましげなその様子に、朱里はさらに笑って答える。
「うそうそ、冗談だって。さすがにそれはないだろ。第一、お前には俺が──」
勢いのまま口が滑って、思わず朱里は自分の口を両手で押さえる。
ちらりと横目で見た小夜はふふっと笑い声を漏らした。
「私には朱里さんがいてくれますもんねっ」
ほんのり頬を染めて朱里の顔を見返してくる小夜。
鈍感であれと望むときほど小夜は鋭い。
朱里の顔がみるみる上気していく横で、廊下の奥に視線を向けた小夜が急に「あっ」と声を上げた。
見ればこちらに近づいてくる惟人の姿。
その瞳はじっと朱里と小夜を捉えている。
二人の側まで来ると、惟人は朱里に視線を留めて、
「お前顔赤いぞ。風邪か?」
「ほっとけ」
突っぱねるように返す朱里から小夜へ視線を転じる。
じっと真顔で見つめられて瞬きをする小夜の前で、惟人が突然大きく頭を下げた。
「──悪かった!」
廊下中に轟くほどの大声で惟人が低頭したまま続ける。
「本当にいろいろ迷惑かけて申し訳なかった!あんたの気が済むならいくらでも殴ってくれ!」
「あ、あの、惟人さん」
慌てる小夜の隣で、朱里が惟人の頭をぱあんとはたく。
「なんでお前が叩いてんだよ!」
食ってかかる惟人に涼しい顔で朱里が答えた。
「お前こそどういう風の吹き回しだよ。昨夜はあんな態度だったのに、急に謝罪なんかして」
「それは…いろいろ牢の中で考える機会があってだな…。よくよく考えると結構俺、こいつにひどいことしてんじゃないかと…」
ぶつぶつと呟く惟人。
「昨日はこいつ、わりと頑張ってたし…」
要は昨夜の一件で、小夜を認めたということなのだろう。
朱里は思わず笑いをこぼした。
「しっかし、小夜に殴ってくれっていうのは無茶な話だろ。こいつに本気で謝罪したいなら、今以上にこの街をよくしてやれよ。それが小夜にとっては一番嬉しいことだもんな」
朱里の言葉に小夜が嬉しそうに頷きを返した。
それを見て惟人は疑問符を浮かべる。
「どういうことだ?どうしてそれが嬉しいことに」
不思議そうに小夜を見る惟人に、朱里はそっと耳打ちしてやった。
途端に惟人の目がこぼれんばかりに大きく見開かれた。
「もっ、もも申し訳ありませんでした!俺はとんだご無礼を…!」
スライディングをかます勢いで床にひれ伏そうとする惟人を、小夜が慌てて止める。
「お、落ち着いてください!私は全然なんともありませんから!それよりもヘンネルさんのことをよろしくお願いします。ねっ?」
そう言って微笑みを浮かべた小夜を、惟人は神の降臨でも目の当たりにした人類のような顔で見つめた。
「…朱里、お前すごい人を相棒にしてるんだな…」
「ああ?こいつのどこがすごいんだよ」
小夜の頭をわしゃわしゃと無造作に撫でる朱里の無礼に、小さな悲鳴を上げる惟人。
もはや今の彼に当初の暗鬱とした近寄りがたい雰囲気はない。
素のままの彼がそこにいるのが分かって、朱里は顔を綻ばせた。
やっぱりこいつは昔のままの惟人だ。