ヘンネルが待つはずの職務室の扉を開いた瞬間、朱里たちの耳に大きな怒声が飛び込んできた。
「だから!何度も言わせんな!俺はあんたを殺そうとしたんだぞ!」
清々しい朝には似つかわしくない言葉が、部屋中どころか廊下にまで響き渡る。
扉のノブを握った体勢のまま、朱里は目前の状況に目を白黒させた。
「罪人は罰するのが当たり前だろうが!」
「まあまあ。私は君をそんなふうに思ってないよ」
ヘンネルの座る職務机に身を乗り出して抗議する元レジスタンスのリーダー惟人と、それをなだめる領主ヘンネルという摩訶不思議な図がそこにはあった。
惟人は牢に入っていたはずだが、どういうわけか今や完全に自由の身のようだ。
「あー…」
朱里たちの入室にも気づかないほど必死に何事かを訴える惟人の背中に、朱里は大きな咳をついて近づいていく。
小夜も目を瞬かせながら朱里の後に従った。
「ああ、二人とも。よく来てくれたね」
惟人の背中ごしにヘンネルが普段と変わらない穏やかな顔を覗かせた。
振り返って朱里と小夜の姿を認めた惟人は、
「お前らからもこの人に言ってくれよ!俺に罰を与えるようにさ!」
ヘンネルのほうを指差して懇願してくる。
「はあ?」
これは一体どういう状況なのだろうか。
朱里は腕を組んで首を傾げた。
おそらく惟人を牢から解放したのはヘンネル自身だろう。
そもそも惟人が勝手に自ら牢に入ったわけだから、解放と呼ぶにはいささか疑問が残るが、まあそれはいい。
問題は、解放された惟人がなぜ再び自分の処罰を求める状況になっているのか。
答えに窮していると、ヘンネルが再び「まあまあ」と興奮気味の惟人をなだめた。
「罰はともかくとして、君にはやってもらいたいことがあるんだよ」
「やってもらいたいこと?」
怪訝そうな顔を向ける惟人に、ヘンネルはゆっくりと頷いた。
「私の仕事の補助をやってもらいたいんだ。体裁は何だっていい。臣下でもお手伝いさんでも君の望む立場を用意する。君はこの街のことを真剣に考えてくれているようだから、ぜひ君にお願いしたいんだ」
これには惟人は言うまでもなく、朱里と小夜も目を点にした。
さすがに予想外の提案だ。
驚いて言葉も出ない惟人に、ヘンネルが付け加える。
「もちろん、君がよければだけどね。でも、こういう贖罪の仕方もありなんじゃないかな」
茶目っ気たっぷりに人差し指を立ててみせるヘンネルの姿は、以前にも増して無敵そのものだった。
「お元気そうでよかったです」
嬉しそうに微笑む小夜の前で、ヘンネルは椅子に腰を下ろしたまま笑顔を返した。
「いろいろ考えることはあったんだけどね。私が立ち止まってしまうと迷惑する人がたくさんいると分かったから、あんまり沈んでもいられないんだよ」
その視線は奥のソファに座る惟人に向けられている。
「これが一番の解決策なんじゃないかな」
惟人は一人ソファに深くかけて、先ほどのヘンネルからの提案について思案しているようだった。
初めは常軌を逸する話だと思ったが、ヘンネルの言うとおり確かにこれが惟人にとって一番いい方法なのかもしれない。
惟人はずっと罰を受けることを望んできた。
さらに、人を救うことでその罪を償おうともしてきた。
ならばヘンネルの傍らでこの街のために助力していくことは、惟人の贖罪になるのではないだろうか。
いつかそれは惟人の心を救うことにもなる。
ヘンネルはそこまで考えて今回の提案にいたったのだろう。
一人の青年の人生を狂わせた責任を取ろうとしているに違いない。
真面目すぎるくらいに真面目な領主だ。
だからこそ、ヘンネルならきっと惟人を救ってくれるような気がした。
「ありがとな」
朱里がそれだけ口にすると、ヘンネルは全てを解ったような顔で小さく頷いた。
やっぱりとんでもない領主だと思う。もちろんいい意味でだ。
隣で小夜も嬉しそうにヘンネルを見ていた。
全ては収まるところに収まったというところだろう。
一件落着だ。
もうこの街に留まる理由はない。
朱里が小夜と連れ立って部屋を出ようとしたときだった。
「実はもう一つお願いがあるんだ」
後ろでヘンネルがそう切り出した。