朱里が村を去って以来、惟人は一人湖で過ごすことが多くなった。
仕事の合間に時間さえあれば、自然と足が森に向いてしまう。
誰もいない湖のほとりに座ってぼんやりと揺れる水面を眺めているだけで、あの日のことがはっきりと思い出された。
今ごろ朱里はまた一人で旅をしているのだろうか。
自分と大して年は変わらないのに、惟人には朱里が自分よりもずっと大人びて見えた。
僕もいつかこの村を出て、自分の好きなことをして生きてみたい。
一人で物思いにふける度、そんなことを夢見るようになっていた。
その日も朝の水仕事がひと通り終わると、惟人は誰にも告げずに湖を訪れていた。
太陽の日差しを受けた透明な水面がきらきらと光の粒を反射する。
いつものように何をするでもなく草っぱらに腰を下ろした惟人はふうと息を吐いた。
もう秋も終わりに近い。
朱里とびしょ濡れになったころから、いつの間にか季節は移り変わっていた。
僕はいつまでここでこうしているのかな。
そんなことをぼんやり自問していたとき、背後で草のかすれる音がした。
「お兄ちゃん?」
驚き振り返り見れば、こちらに近づいてくる小さな少女の姿があった。
「マリー、どうしてここに」
マリーと呼ばれた幼い少女は、ワンピースのふんわり広がった裾を揺らしながら惟人の側まで来ると、倣うように隣にちょこんと座った。
子どもらしい丸い顔がにっこり笑顔を浮かべて惟人を見上げる。
「いっしょにきたの」
後をつけてきたということだろう。
無邪気なその様子に、惟人は困ったように眉尻を下げた。
「ここは危ないから来ちゃだめだって、村長さんに言われてるでしょ」
「お兄ちゃんがいっしょだから、だいじょうぶ」
歯を見せて笑うマリーには惟人もこれ以上言葉が出ない。
どうやって追い返そうかと考えを巡らせていると、マリーが不思議そうに惟人の顔を覗き込んできた。
「お兄ちゃんはここでなにをしてるの?」
答えづらい質問だ。
「うーん」と答えに窮する惟人に、マリーが続けざまに訊いてくる。
「ここになにかあるの?」
悩んだ末、惟人は唯一浮かんだ単語を口にしていた。
「僕の宝物があるんだよ」
「たからもの?」
マリーの目がきらきらと輝く。
しまったと思ったときにはもう遅い。マリーは身を乗り出して惟人の服をぎゅっと掴んできた。
「ねえねえ、たからものってなあに?」
お兄ちゃんの大事なものなの?と尋ねてくるマリーに、惟人は言葉に詰まる。
とっさに出てしまったその単語は、間違いなく朱里の影響を受けていた。
この湖の底には宝が眠ってるんだ。
そう言って大きな目を輝かせていた朱里が、あのとき惟人には羨ましかった。
だからつい真似るような台詞が口をついて出てしまったのだ。
言ってしまった後ではどうしようもない。
興味津々なマリーに惟人は仕方なく朱里から聞いた話をすることにした。
「この湖の底には大きな神殿が沈んでいるんだ。そこにすごい宝物があるんだよ」
朱里が心配で潜ったとき、実際に自分の目でも見た。
ぞっとするほど暗く重い水の中に眠る神殿。
二度と訪れたくはない場所だが、それでも朱里との大切な思い出の眠る場所だった。
そういう意味では、確かにここに惟人のかけがいのない宝物はある。
「すごいね!」
楽しそうな歓喜の声を上げて、マリーが湖面を覗き込んだ。
身を乗り出して湖の奥深くに沈んだ神殿を見つけようとしているようだ。
それがあまりに必死なものだから、惟人は思わず笑ってしまった。
「だめだよ、マリー。そんなことしてたら落ちちゃうよ」
「だいじょうぶ!お兄ちゃんがいるもん」
先ほどと同じことを言ってふふっと笑うマリーの体を起こしてやると、惟人は立ち上がって自分とマリーの尻についた草を軽くはたいて落とす。
「そろそろ帰ろう。村長さんが心配してるよ」
「うんっ」
しっかりとマリーの手を握ると、惟人は来た道を二人並んで歩き出した。
マリーがそっと後ろの湖を振り返ったのには、気づくこともなく。