第5章

すべては意のままに





「ふわああ」

大きな欠伸をひとつ。

目じりに浮かんだ涙を拭いつつ、朱里は城の廊下を食堂に向かって一人歩いていた。
窓の向こうの空はすっかり陽が昇っている。


今日で城に入って3日目。

未だレジスタンス、もとい惟人について何の情報もなければ進展もない。

しかも本日の勤務は城内の見回りときたものだ。これではどうしようもない。

何か手はないかと夜通し考えてみたものの、結局良案は浮かばなかった。
浮かんだものといえば、目の下のくまくらいだ。


やれやれ、とため息を吐きながら辿り着いた食堂内の光景に、朱里はさらにため息を吐いた。

決して少なくはない円卓は、どれもこれもが人で埋め尽くされていた。

城の従者に警護の者だろうか、この城に従事する全ての人間が一堂に会したような人の多さだ。

おそらく皆この時間帯に朝食を摂っているのだろう。
完全にかぶってしまったわけだ。

「…また後で来るかな」

一歩後ろに下がったところで、奥のほうからこちらに振られる白い手が見えた。

「朱里さーん!」

ごった返す人の海の中、満面の笑みで名を呼ぶ小夜に、朱里は引きつった笑いを返すしかなかった。




「今日は珍しく遅いお目覚めでしたね。体調でも悪いのですか?」

言って朱里の目元に伸ばされた小夜の手を軽く避けて、朱里は湯気の立つカップに口をつけた。

濃いめに入れたコーヒーが重い頭を多少すっきりさせてくれる。

「いや、ちょっと考え事をな。お前はずいぶん調子いいみたいじゃねえか」

「はいっ。お部屋がいいので夜もぐっすりです!」

「こっちは男共のいびきの中で耐える日々だけどな」

遠い目をする朱里に、小夜が名案とばかりに顔を輝かせて身を乗り出す。

「それでは、今夜は私の部屋で一緒に眠りませんか?ベッドも広いので快適ですよっ」

にこっと微笑んでぴんと人差し指を立ててみせる小夜。

対する朱里は慣れたもので、

「師匠に殺されるからパス」

あっさりと却下して、再び熱いコーヒーを一口。


小夜のとりとめのない話を聞きながら、皿の隅っこにニンジンのマリネを寄せる作業に没頭していると、頭上から声がかかった。

「相席、いいか」

見上げれば予想外の人物が朱里を見下ろしていた。

「お前…」

黒い短髪に鋭い目つきの男。

初日に話して以来、姿を見ることもなかったイワンと名乗った男だ。

イワンは朱里からの返答も待たず椅子に腰かけると、涼しい顔で朝食を口に運び始めた。

まるで朱里と小夜の姿など視界に入ってないとばかりの飄々とした態度だ。
普段愛想があるほうでは決してない朱里でさえ呆れ返ってしまう。

「あんたな…」

言いかけたとき、イワンが視線だけを朱里に寄越してきた。

以前も思ったが、珍しい瞳の色だ。
陽の光でさらに鮮やかさが増して思わず目を奪われる。

そういえばこういったタイプの人間と会うことは今までなかった。

寡黙で感情が表に出ない人間。

ジライも口数は少なく前髪で表情は見えないが、イワンとは違う。

この男には常に影が纏わりついているように見えた。

ちょっとした興味本位で、朱里は尋ねていた。

「あんたは普段どんな仕事をしてるんだ」

突然の質問が意外だったのか、イワンは少し間をおいた後口を開いた。

「そんなこと聞いてどうする」

「別にどうもしねえよ。ただ気になっただけで」

肩をすくめる朱里に、イワンは軽く言い捨てた。

「なんでも屋さ」

「なんでも屋?……って?」

きょとんとする朱里の隣では小夜も同じように目を丸くさせている。

二人の様子にイワンがくっと笑いを漏らした。

「言葉通りだよ。なんでもするからなんでも屋」

解ったか?とばかりに首を傾けてみせるイワン。

相手を小馬鹿にするような態度だったが、当の朱里と小夜は物珍しげに頷いている。
小夜にいたっては「なんだか恰好いいですね」と顔を上気させていた。

それがイワンの好奇心を刺激したのか、今度はイワンが話を切り出していた。

「あんたらは何をしてるんだ?」

「ん?俺たちはトレジャーハンターさ」

「宝狩りか。ずいぶんと夢のある職業なことだな」

「現実はそうでもないけどな。そうでなきゃ今こんな場所にいねえしさ」

苦笑する朱里を見ていたイワンが、ふいに視線を隣に移した。

そこにはパンを口に頬張ろうとしている小夜がいた。


「ところであんたのほう」

イワンの視線を受けて、小夜が口をもぐもぐさせながら自身を指差す。

「そう、あんただ。あんたの顔、以前どこかで見た気がするんだが…」

考え込むように目を細めるイワン。

対する小夜は口いっぱいに頬張ったパンと未だ格闘している。

それを見た朱里がコップを小夜の前に近づけてやる。
まるで子どもの世話を焼く母親だ。

「…気のせいか」

軽く首を振って、イワンは席を立った。
いつの間にか彼の前の皿は空になっている。

「邪魔したな」とだけ言い置いて、そのままイワンは去っていった。


どうにも掴みどころがない男だ。

その背中を目で追いつつ、朱里はサラダに混じったニンジンを皿に移す作業に専念するのだった。



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