「……ん」
まぶたを通して感じられる暖かな朝日に、小夜はうっすらと目を開いた。
ぼやけた視界に映る天井はよく見慣れたものだ。
あれ、と瞬きをして、小夜は半身を起こす。
見慣れた窓に見慣れた扉。
私はいつの間に戻ってきていたんだろう。
いや、そもそも今まで見てきた全てが嘘だったのだろうか。
本当はずっとこの部屋で眠っている間に見た夢なのかも。
部屋を出れば見知った侍女や大臣、大好きな父が笑顔でおはようと声をかけてくれるのではないだろうか。
心臓が脈打つまま、素足で廊下へと続く扉に手をかける。
一呼吸おいて開け放った、その先には。
「おっ、早いな」
驚いた顔でこちらを見下ろす朱里の姿。
頭に広がっていた光景は呆気なく霧散した。
小夜は笑顔で心を取り繕う。
もう記憶の中の故郷は存在しない。
そう思うとちくり、と胸に痛みが刺した気がした。
町の散策に付き合ってほしいという領主に呼ばれて、朱里と小夜の二人は並んで城門の前に立っていた。
朝から少し様子のおかしい小夜は、言葉少なに城をぼんやり眺めている。
朱里が顔を覗き込むと慌てて笑顔を見せるが、それも普段の無邪気なものとは違って見えた。
「どうした?まだ傷が痛むか?」
怪訝そうに問いかける朱里の目は、いまだ細い首に巻かれた包帯に留められていた。
惟人に噛まれた傷がまだ癒えないのだろう。ひどく痛々しい。
朱里が渋い顔をしているのに気づいたのか、小夜が首元に手を当てて答えた。
「全然大した怪我じゃないので大丈夫ですよ。寝ぼけてるみたいでぼんやりしちゃいました」
すみません、と謝る小夜の頭を軽く小突いて、朱里はほっと息を漏らす。
大丈夫、いつもの小夜だ。
そんなとき、城のほうから手を振りつつ歩いてくる領主の姿が見えた。
「すまない。お待たせしてしまったね」
腹を揺らしながら近づいてくる領主ヘンネルは、さすがに町の散策というだけあって軽装だった。
今の姿からは領主の威厳は微塵も感じられない。
もっとも、城内にいるときですら風格や威厳と言ったものとは大きくかけ離れていたが。
「さあ、出発しようか」
明るく言って意気揚々と城門をくぐるヘンネルの後について、朱里と小夜も日差しの射す賑やかな通りへと繰り出していった。
散策、という言葉のとおり、ヘンネルの道程はゆったりしたものだった。
目に留まった出店に立ち寄り道草を食っては、道行く人と他愛もない会話を交わす。
その繰り返しだ。
城前の通りを抜けて中央広場に着く頃には、太陽がずいぶん高い位置まで昇っていた。
「…なあ、ひょっとして今日一日こんな感じなのか?」
耐え切れずに朱里が尋ねたのも無理はない。
彼には惟人を見つけるという大事な目的がある。
こんなところで無駄な時間を浪費している暇はないのだ。
苛立ちを隠す気もない朱里に、しかし当のヘンネルはにっこり笑って返した。
「そうだね。今日は一日こんな感じだね」
さすがというべきか否か。
朱里は後に続く言葉を見つけられない。
もしかしたらこの領主は、とんでもない食わせ者なんじゃないのか。
朱里の前をのんびり歩く隙だらけの後ろ姿からは、革命を起こされようとしている領主の焦りや緊張感などまったく感じられない。
何が楽しいのか常に笑みを顔に貼りつけている。
一体この領主は何を考えているのか。
朱里が呆れて空に視線を転じたとき、ヘンネルが言葉を付け足した。
「強いて言うなら、今日の目的は町の西にある施設に顔を見せに行くことくらいかな」
「施設?」
唐突な単語に視線をヘンネルに戻すと、彼はゆっくりと頷いてみせた。