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第1章
目覚めはすぐ隣から
周りを森に囲まれた大きな屋敷から、一台の馬車が躍り出た。
馬の蹄の音を掻き鳴らしながら、馬車は森の小路を駆けていく。
その窓越しに、頬杖をついて外の景色を見つめる若い男の顔が映った。
蜂蜜色の髪の男は、憎々しげに鋭い眼光を外に注いでいた。
耳元で声が聞こえる。
「……さん……さん」
誰かの名前を呼んでいるようだ。
しかし呼ぶにしてはあまりにか細い声。
何を遠慮しているのだろう。
そんなことだから、いつまでたっても呼ばれている奴が返事をしないのだ。
ここに俺が寝ているのだから、できればさっさと返事をして、この声をどうにかしてほしい。
そう思いつつ寝返りを打った朱里の耳に、また背後から声が届いた。
「あっ、あの…」
意識してみれば、どこかで聞いたことのある声だ。
いや、それどころか毎日聞いているような。
「朱里さんっ」
今度こそ声の主が誰なのか思い当たって、朱里は固く閉じていたまぶたをこじ開けた。
途端に眩しい陽射しが目に刺さる。
小さく呻いて手で日除けを作ると、朱里は細めた目を窓に向けた。
ガラス越しに、白い太陽が姿を見せる。
「朝…?」
呟きながら身を起こし、ベッド側に佇む人物の顔を見上げる。
「…朝からどうしたんだよ」
その言葉を受けて、朱里の相棒、小夜は安堵したように頬を緩めた。
「良かったです。お名前を呼んでも反応がなかったので、お体の調子でも悪いのかと思いました」
「反応がなかったって…お前どれくらいの間呼んでたわけ?」
「えっと」
そう言って指を折る仕草をした小夜に朱里は尋ねた。
「もしかして俺、寝坊した?」
「…ちょっとだけ」
だが小夜の言葉を否定するように、窓の向こうで輝く太陽は、だいぶ高い位置まで昇っていたのだった。
「お前さ、起こすときはもっと大声で呼んだっていいんだぞ。叩き起こすくらいの勢いでいい」
「でもすごく気持ち良さそうに眠っていらっしゃったので、なんだか申し訳なくて」
口を動かしながら、二人は城へ続く大通りを駆けていた。
遥か前方には、爽やかな青空に囲まれて、白い城が景色から浮き上がって見えている。
「ああ見えて師匠、時間にはうるさいんだよな」
「二人で誠意を持って謝れば、きっと分かってくださいますよ」
走りながらへらりと笑う小夜。
「そうだといいんだけどな」
それを最後に口を閉じると、朱里は走ることに専念する。
前に臨む城の中では、師匠とその相棒のジライが二人の到着を待っているはずだった。
そもそも、なぜ二人が城へ向かうことになったのか。
事の始まりは一日前に溯る。
朱里と小夜がこの街を訪れたのは、特に目的があるわけではなかった。宿を求めて歩いていたら、ここに辿り着いたというだけのことだ。
そこで二人は偶然にも、懐かしい顔に再会した。
黄昏時の静かな道を、小夜と並んで歩いているときだった。
突然背後から肩を掴まれ、朱里は飛びのくように振り返った。
「誰だ」
訊いた後で、思わず眉をしかめる。
「誰だ、とはつれないな」
「…知らない仲じゃないはずなんだけどね…」
夕日を背に佇む二つの影。
朱里の隣で、小夜が「あっ」と嬉しげな声を漏らした。
大きな影のほうが、無造作に頭を掻く。
「ずいぶん勘が鈍ったんじゃないか?肩掴まれるまで気付かないなんて」
「…おしゃべりに夢中だったのかな…」
まるで深く根付いた木のように立ち尽くす、線の細い影が答えた。