第1章

目覚めはすぐ隣から





周りを森に囲まれた大きな屋敷から、一台の馬車が躍り出た。
馬の蹄の音を掻き鳴らしながら、馬車は森の小路を駆けていく。

その窓越しに、頬杖をついて外の景色を見つめる若い男の顔が映った。
蜂蜜色の髪の男は、憎々しげに鋭い眼光を外に注いでいた。


*****



耳元で声が聞こえる。

「……さん……さん」

誰かの名前を呼んでいるようだ。
しかし呼ぶにしてはあまりにか細い声。

何を遠慮しているのだろう。
そんなことだから、いつまでたっても呼ばれている奴が返事をしないのだ。

ここに俺が寝ているのだから、できればさっさと返事をして、この声をどうにかしてほしい。

そう思いつつ寝返りを打った朱里の耳に、また背後から声が届いた。

「あっ、あの…」

意識してみれば、どこかで聞いたことのある声だ。
いや、それどころか毎日聞いているような。


「朱里さんっ」


今度こそ声の主が誰なのか思い当たって、朱里は固く閉じていたまぶたをこじ開けた。
途端に眩しい陽射しが目に刺さる。

小さく呻いて手で日除けを作ると、朱里は細めた目を窓に向けた。

ガラス越しに、白い太陽が姿を見せる。

「朝…?」

呟きながら身を起こし、ベッド側に佇む人物の顔を見上げる。

「…朝からどうしたんだよ」

その言葉を受けて、朱里の相棒、小夜は安堵したように頬を緩めた。

「良かったです。お名前を呼んでも反応がなかったので、お体の調子でも悪いのかと思いました」

「反応がなかったって…お前どれくらいの間呼んでたわけ?」

「えっと」

そう言って指を折る仕草をした小夜に朱里は尋ねた。

「もしかして俺、寝坊した?」

「…ちょっとだけ」

だが小夜の言葉を否定するように、窓の向こうで輝く太陽は、だいぶ高い位置まで昇っていたのだった。




「お前さ、起こすときはもっと大声で呼んだっていいんだぞ。叩き起こすくらいの勢いでいい」

「でもすごく気持ち良さそうに眠っていらっしゃったので、なんだか申し訳なくて」

口を動かしながら、二人は城へ続く大通りを駆けていた。

遥か前方には、爽やかな青空に囲まれて、白い城が景色から浮き上がって見えている。

「ああ見えて師匠、時間にはうるさいんだよな」

「二人で誠意を持って謝れば、きっと分かってくださいますよ」

走りながらへらりと笑う小夜。

「そうだといいんだけどな」

それを最後に口を閉じると、朱里は走ることに専念する。

前に臨む城の中では、師匠とその相棒のジライが二人の到着を待っているはずだった。


* * * *



そもそも、なぜ二人が城へ向かうことになったのか。
事の始まりは一日前に溯る。


朱里と小夜がこの街を訪れたのは、特に目的があるわけではなかった。宿を求めて歩いていたら、ここに辿り着いたというだけのことだ。

そこで二人は偶然にも、懐かしい顔に再会した。



黄昏時の静かな道を、小夜と並んで歩いているときだった。

突然背後から肩を掴まれ、朱里は飛びのくように振り返った。

「誰だ」

訊いた後で、思わず眉をしかめる。


「誰だ、とはつれないな」

「…知らない仲じゃないはずなんだけどね…」


夕日を背に佇む二つの影。

朱里の隣で、小夜が「あっ」と嬉しげな声を漏らした。


大きな影のほうが、無造作に頭を掻く。

「ずいぶん勘が鈍ったんじゃないか?肩掴まれるまで気付かないなんて」

「…おしゃべりに夢中だったのかな…」

まるで深く根付いた木のように立ち尽くす、線の細い影が答えた。



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