第4章

背後には影と光





窓の外には、昼間の出来事が嘘と思えるほど静かな夜が広がっていた。

風もなく穏やかな時。
窓から注がれるほのかな月明かりを受け、朱里は窓辺の椅子に腰かけていた。

すぐ側のソファにはくつろぐ師匠、ジライの姿もある。


城の一角の休憩室。
ここが朱里たちに宛がわれた部屋だった。

とはいえ、3人だけの個室ではない。彼ら以外にも数人の男たちが、部屋の両脇に並べられたベッドの上に横たわっている。
言うまでもなく全員領主に雇われた者たちだ。

小夜の姿が見えないのは、さすがに女性を男と同室にするわけにもいかず、領主の計らいで一人別室を用意されたからだった。
おそらく今はもうベッドの中だろう。


室内で眠る男たちの寝息が聞こえる中、朱里が沈黙を破って師匠に視線を送った。

「…師匠、ひとつ質問してもいいか?」

なんだと返す師匠に、朱里は尋ねる。

「俺たちをこの城へ呼んだ、その理由を聞きたい」

唐突な疑問ではない。
ずっと気になっていることだった。

なぜ師匠は自分と、そして小夜をわざわざこんな危うい環境に巻き込んだのか。
師匠の意図するところが見えず、朱里は歯がゆい思いを抱えていた。

「いつもの気まぐれだろ。何を今さら」

肩をすくめて、師匠がはっと笑う。
対する朱里の表情は変わらない。

「本音を言えよ。ここはあいつの国だ。あいつを領主に近づけて何がしたい」

朱里の真剣な眼差しに、師匠の顔から笑みが消える。
代わりに視線を窓の外に向けて彼は呟いた。

「…きっかけになればと思ってな」

その横顔がどこか遠くを見据えるように細められた。

「きっかけ?」

言葉の意味を図りかねて怪訝そうな顔をする朱里に、師匠はちらと横目をやる。

「お前だって分かってるんだろ。いつまでもこのままじゃいられないことくらい」

今度は師匠が朱里を見返す番だった。
じっと目の奥を探られる感覚から逃げるように、朱里は視線を足元へ逸らす。

「…けどそれは今じゃないだろ」

「毎回そうやって誤魔化していくのか?」

確信を突く師匠の言葉に、とっさに朱里が顔を上げる。
そこには焦燥感が色濃く浮かんでいる。

返す言葉も見つからず、朱里は「…うっせえ」とだけ呟いてそのまま口をつぐんだ。

師匠がはあと息を吐いて頭を掻く。

「お子様にはまだ早かったかね」

それまでじっと師匠の横で無言を保っていたジライも、ようやく声を発した。

「…そうだね。二人ともまだ子どもなのにね…」

その後に続く言葉はない。

前髪の隙間からのぞいた瞳がそのときわずかに歪められたのに、うつむく朱里が気づくことはなかった。


*****



眠れない、というわけではない。
ただ確かめたかった。


花の香がふわりと鼻孔をかすめる。
歩く度に草の葉が足首をくすぐっていく。

小夜は一人、城の中庭を訪れていた。

中空に浮かんだ月にぼんやり照らされて、さして広くもない中庭には一面に花が咲き誇っている。

その中心に立ち尽くして、何をするでもなく周囲を眺めていた。


「…懐かしい」

今や違和感は、確信に変わっていた。

初めてこの城を訪れたときに覚えた既視感。

それもそのはずだ。

この城は、まるで──。


「ここはマーレン城を模しているからね」


振り返った先には領主のヘンネルが立っていた。

ヘンネルは穏やかな笑顔を浮かべて小夜の前まで来ると、さらに目元を緩ませた。

「…お元気にされていましたか?」

唐突に口調が丁寧なものに変わる。

にもかかわらず、小夜を見るその瞳はまるで父親のように親しげだ。

「…いつから?」

言葉少なに尋ねる小夜に、

「初めてこの城にいらっしゃったときから。この国の領主であなたに気づかない者はいないでしょう」

答えて、ヘンネルは視線を空へ投げる。

「この城の建設を考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのがマーレン城でした。マーレン城の主は私が尊敬するこの国の王、スバイナー。彼への敬愛の念を込め、私はこの城をマーレン城に似せて造ったのです」

「そうですか…」

小夜の脳裏に故郷の白亜の城が浮かんだが、今はもはや朽ち果てているに違いなかった。

主のいない城。
自分が捨てた場所。

小夜の顔色が翳ったのに気付いたのか、ヘンネルが付け足すように言う。

「今のあなたにはお辛いだけの場所かもしれませんね。お心を濁らせてしまって申し訳なく思います」

そこで一度言葉を止めて、ヘンネルは姿勢を正すと再度口を開いた。

「今から言うことは、私の個人的なわがままとしてお聞きください。小夜姫様、ここにいる間だけでいい。この町、いえ、この国と真っ直ぐに向き合ってみてほしいのです。今この国がどういう状況にあり、今後どう変わっていくのか。あなたの目で直接見て、感じてほしいのです。あなたの父上が生涯をかけて守ってきたこの国を」

真剣な面持ちで一息に告げると、ヘンネルは「言葉が過ぎました」と深く頭を下げ、小さく微笑んで小夜に背を向けた。

返事は望んでいないようだった。

小夜はただ黙って、遠ざかっていくヘンネルの背中を見つめる。


少し疲れを感じさせる、けれども堂々とした広い背中。

記憶の中の父も同じ背中をしていた。

国の未来を想い、ときには苦悩しながら決断する父の後ろ姿を見て過ごしてきた記憶が、深く沈んだ意識から呼び起こされて、小夜は唇を噛み締める。


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