「言ったとおり殺しはしない。けどあんたにはこの群衆の見世物になってもらう。それが嫌なら本性を現すんだな」
わずかの間小夜と惟人の視線が交差する。
惟人の目の奥にある真剣な色に気づいて、小夜が現状を忘れかけたときだった。
何の予告もなく、惟人の右手が閃いた。
ナイフの刃先が小夜の胸元から腹部まで一気に滑り降りる。
あっと思ったときにはもう遅い。小夜の身に着けていたシャツの前は容易くはだけ、胸を覆う下着がのぞいていた。
今の状況を理解しようと小夜が目をぱちぱちさせていると、背後から惟人が口を開いた。
「さすがにこれだけの人の前で肌晒されんのは耐え難いだろ?泣いたって王子様は来ちゃくれないしさ」
ちらと見下ろした先で、朱里は激昂を隠しもせず惟人を睨んでいるが、その足が地面から動く気配がない。いや、動けないのだ。
朱里が舞台に上がれば、惟人は躊躇いなく小夜を足場から突き落とすだろう。
完全に惟人の手中だ。
小夜の耳元でその惟人がささやく。
「ここで素っ裸にされるのが嫌なら、俺に誓えよ。金輪際、朱里には近づきませんって。あんたさえ消えれば、あいつだって元に戻る」
惟人の言葉を受けながら、小夜はじっと朱里を見つめていた。
歯を噛み締める朱里の顔はひどく傷ついてみえた。
「…元に戻る?それはあなたと同じように、朱里さんを独りぼっちにさせるという意味ですか?」
予想外の言葉に、惟人が怒りに目を見開く。
「そんなことは言ってない!」
「私にはそう聞こえます。朱里さんを独りにさせるというのなら、私には絶対に誓えません。ずっと側で朱里さんを支えていくのが私の夢ですから」
惟人の目を真っ直ぐに見つめる小夜の顔には恐怖の色はおろか、不安の色さえ見られない。
揺らぎない意志を宿したその瞳に、惟人のほうがたじろいだようだった。
「朱里のためならいくらでも恥かくっていうのかよ」
「はい。それにこんなことで私の心は傷ついたりなんてしません」
小夜は下で自分たちを見つめる朱里に微笑みを返す。
大丈夫、と伝えたつもりだった。
心配しないでほしい。
あなたがそんな風に傷つくようなことは全くないから、と。
小夜の笑顔に、朱里の表情が唖然としたものに変わったとき。
「後悔しても遅いからな」
惟人の握るナイフの刃が小夜の胸元、下着の中央部分に添えられた。
「やめろ──!」
朱里の悲痛な叫びが周囲に轟く。
しかし、刃先はあっけなく布を断ち。
「──何してんだ惟人!警備の奴らが来てるぞ!」
突然、群衆の中から数人の青年たちが躍り出た。
惟人の名を呼んで、青年たちはそれぞれ散り散りになって走り去っていく。
確かに遠くのほうからばたばたと誰かの駆けてくる足音が響いていた。
おそらく朱里たちと同じ領主に雇われた者たちだろう。
その様子を上から見ていた惟人も軽く舌打ちをすると、小夜を放して高台から飛び降りようとする。が。
「あっ」
振り向いた先で、両手を塞がれたままの小夜がバランスを崩して足場から宙に投げ出されていた。
「馬鹿っ!」
とっさに惟人の腕が伸びる。
しかし、手を伸ばすことすらできない小夜を掴むのは不可能だ。
伸ばした手は空を切り、小夜はそのまま落下する。
苦々しげに顔を歪めた惟人もあっけなく高台から逃げ去っていった。
突然のことに騒然となる中、顔を青くした朱里が舞台に駆け上がる。
小夜が落ちた。
あの高さから落下すれば無事では済まない。
「小夜!」
叫ぶ朱里の視線の先には、横たわる小夜と、そして。
「ギリギリセーフってやつだな。ふう」
「そうだね…。なんとかギリギリだよ…」
小夜の体を抱えて膝をつく師匠、ジライの姿があった。
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