イワンに連れられて歩いていたときはかなり抑えていたのだろう。
朱里と並んで城内を散策する小夜は、まるで落ち着きのない子供のようにあちこち覗き込みながら駆け回っていた。
「あっ!朱里さん、ここ厨房ですよ!お昼ご飯の支度をしてるみたいです!」
「ここはベッドがいっぱいですね!皆さんの休憩室でしょうか」
「わあ!この部屋はおもちゃがたくさんです!」
頼んでもいないのに、新しい部屋を発見する度実況してくれる始末だ。
「朱里さん!こっちですこっち!」
手招きしながら駆けていく犬。もとい、相棒小夜。
「分かった。分かったから落ち着け。こっち戻ってこい」
半分呆れながら朱里はその後を歩く。
廊下の角で小夜が領主の従者とぶつかりそうになったところで、さすがの朱里もため息をついて小夜を呼んだ。
その手首を掴んで歩く朱里の姿は、さながら飼い犬に首輪をつけて散歩をする飼い主の図だ。
小夜は少し物足りなさげにあちこち視線を寄せていたが、朱里が手を離してくれそうにないと悟ると、諦めたように大人しく朱里の横に並んだ。
白い廊下は続く。
左右に並んだ同じようなドアをいくつ過ぎたか分からなくなった頃、どこからか賑やかな声が聞こえてきた。
廊下に人はいない。
おそらくいずれの部屋から漏れているのだろう。
朱里は小夜を連れて、ある扉の前で歩みを止める。
木製の扉の奥から聞こえるのは聞き慣れた、というよりは聞き飽きた声。
「この声って」
隣で小夜が目を輝かせる。
対する朱里は明らかに曇り顔だ。
「…行くぞ」
意を決するように重く呟くと、朱里はノックをすることもなく、勢いよく扉を開いた。
がはははは、という笑い声が途端に鼓膜を揺する。
二人が足を踏み入れたのは、ベッドがいくつも並ぶ休憩室のような部屋だった。
おそらくここが朱里たちの控え室になるのだろう。
部屋の左右に並ぶベッドは全部で10数個はある。
その一番奥の窓際には、気持ちばかりの小さな丸テーブルとソファが設けられている。
そこに声の主はいた。
こちらに背を向けるようにしてソファにふんぞり返り肩を揺らして笑う姿は、さながらどこかの悪の親玉だ。
そのすぐ側には、まるで従者のように一人の影が薄い男が佇んでいる。
朱里に気づいて視線を寄越す従者の男と側に立つ小夜に、朱里は口元に人差し指を当てて沈黙を促すと、気配を殺してソファに座る男に近づく。
朱里が真後ろに立っても男は気づく様子もなく、従者の男に話しかけている。
今だ。
朱里が身をかがめて男の首に腕を回し、めいっぱい締め上げ――ようとしたところで、男が身をかわしたため、朱里の腕は空を掻いただけで終わった。
「まだまだつめが甘いな」
再びソファにふんぞり返って男が笑う。
「残念だったね、朱里…」
従者の男も口元だけで笑みを作った。
「ちっくしょう」
ソファに力なく両腕をついて、朱里は深く息を吐く。
いまだ扉の前で立ち尽くす小夜だけが口元を押さえたまま、もう喋っていいのだろうかという風に目だけをきょろきょろさせていた。
「――で?お前らも参加することにしたのか」
「朱里はこういう傭兵まがいのこと、好きじゃないと思ってたんだけどな…」
好奇の目を向けてくる師匠とジライに対し、朱里は視線を逸らしながら答える。
「まあな。今回は気が向いただけだ」
「ふうん」
「へえ…」
あからさまな猜疑の視線に、朱里は眉間にしわを寄せて二人を交互に睨みつける。
「なんだよ。元はといえば師匠たちが寄越した話だろ。それに乗って何が悪い」
ふて腐れたように唇を尖らせる朱里に、師匠が「すまんすまん」と歯を見せて笑う。
その態度からは申し訳なさの欠片も見当たらない。
「…まあ、僕としては朱里たちが加わろうが拒否しようがどっちでもいいんだけどね…。ただ、師匠は喜んでるみたいだけど…」
ぽつりと発されたジライの言葉に、師匠が頭をがしがし掻いて宙に視線を逸らす。
どうやら照れているらしい。
ごほん、とわざとらしく咳をついて、
「あー、まあ、なんだ。しばらくは同じ釜の飯を食うことになるんだ。協力していこうぜ、朱里に小夜ちゃん」
手を差し出す師匠に対し、朱里が一言。
「あんたらと一緒に行動するつもりはないけどな」
腕を組んだままそっぽを向く。
「お前はほんっっとに可愛げがねえなあ」
「…小夜ちゃんと二人っきりがいいってことだよね…。朱里、やーらしー…」
「んなっ…!」
3人の男たちがそれぞれに顔色を変えている中、小夜だけが必死に師匠の差し出された手を握って「皆さんの足を引っ張らないよう頑張ります!」と顔を上気させているのだった。
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