安堵して目線を外した矢先だった。
急に小夜が朱里の肩にもたれかかってきた。
「なっ、なんだよ!?」
驚く朱里の顔を見上げて、小夜がふにゃりと笑う。
「えへへへへー」
ほんのりと顔を赤く染めた小夜の手には、いつの間にか空のグラスが握られていた。
「あっ、お前まさか…」
「朱里さん、これすっごく美味しいのですよー」
無邪気にグラスを振る小夜からは、かすかにアルコールの香りが漂ってくる。
「きれいなルビー色のジュースなのです」
「あほ!そりゃ酒だ、酒」
「さ、けぇ?」
今や完全に酔っ払いと化した小夜は、意味なく朱里に笑顔を振りまき続ける。
対する朱里は寄りかかってくる小夜の体を支えながら、今日何度目かのため息をついた。
「…そろそろ帰るか」
にこにこと笑う小夜が、朱里の言葉にこてんと首を傾げてみせた。
無人の夜道を、背に小夜を抱えた朱里が歩いていく。
ドレスの小夜に上着を着せてやったせいで朱里自身は震え上がるような寒さだったが、小夜が触れている背中だけは温かいのが唯一の救いだった。
周囲に街灯はない。
それでも家々の窓からこぼれた灯りが、夜の小路に暖かな光を落としているおかげで闇は深くなかった。
通り過ぎる家々からは楽しげな声が聞こえてくる。
賑やかな夜だった。
見上げると、凛と澄んだ夜空に、数多の星が呼吸するように静かな煌きを繰り返していた。
吐いた息が白い。
ふわりと星空に溶けてそのまま見えなくなる。
沈黙していたのでてっきり眠っているとばかり思っていた小夜が、肩口で小さく呟いた。
「しゅりさん…」
「ん?」
それだけ応えて小夜の言葉の続きを待つ。
小夜がもう一度「しゅりさん」と呟いた。
「なんだよ?」
まだ酔っ払ってるのか。
思わず笑いをこぼすと、朱里の首に回された小夜の腕にわずかな力がこもった。
「きょうのしゅりさんはかっこよかったです」
「さっきも聞いたよ」
呂律が回らない小夜の言葉に笑って答える。
すると小夜がぽつりと漏らした。
「あのおんなの子もきっと、そうおもったんですよ」
「え?」
どきりとした。
小夜にはあの少女が朱里に向けて放った言葉が聞こえていたのだろうか。
だがそこで思い直す。
あのとき小夜の周りには人が大勢いたし、壁際で話していた俺たちの会話が届くはずはない。
「な、何言ってんだよ。俺なんかより見てくれがいい奴なんて周りにいっぱいいただろ」
焦って返した言葉に、小夜が小さく首を振るのが分かった。
「…しゅりさんは分かってないんです」
「何を?」
「どれだけご自分がすてきか…ぜんぜん分かってないんですよ」
驚いて横を見る。
小夜の口調にわずかばかりの怒気が感じられたからだ。
「な…なんで怒ってんだよ」
頬を膨らませた小夜の横顔が、明らかな不機嫌さを漂わせて朱里に向けられていた。
「俺が何かしたのかよ」
「なんにも」
即答が返ってきて、朱里はさらに戸惑ってしまう。
小夜がこんな態度を表に出すなんてことはこれが初めてだった。
酒のせいで、感情の操作が上手くいかないのだろうか。
「気に食わないことがあるんなら言えよ」
「ありません」
再び即答。
「な、なんなんだよお前は…」
朱里の戸惑いを含んだ白い吐息が儚く流れていく。
「酔っ払いは性質悪いぞ」
ついこぼしてしまった愚痴に、小夜が反応するとは思わなかった。
「だってしゅりさんが…」
突然声音の変わった小夜に視線を移すと、泣きそうな顔で小夜が口を震わせていた。
「しゅりさんがほかのおんなの子とたのしそうにしてるから…今日はとくべつな日なのに…」
とうとうしゃくり上げまで始める小夜に、朱里はどう返せばいいか分からず口をぱくつかせる。
すると小夜が声を漏らした。
「ほかのおんなの子となかよくしちゃ、いやです…」
嗚咽を押し殺す声がして、そのまま朱里の肩に小夜の顔が埋められる。