「こんな息苦しくなるようなドレス着て、こんな場所で意味なく笑ってなきゃいけないなんて、最悪」
無造作に少女がドレスの裾を足で払う。
腰の辺りまで真っ直ぐ伸びた艶やかな黒髪が、さらりと肩口に流れた。
「早く家に帰りたい」
幼さの残った少女の横顔が前方に広がる人の波を見つめ、次いで朱里の顔に視線を留める。
自分とまったく同意見を発した少女に、朱里は固く引き結んでいた口を緩めていた。
「あんたは好きじゃないのか、こういう…知らない奴らと笑って話したりするの」
「好きよ。こうして初対面の人とお話するのは大好き。でも、あそこは違うもの。なんだか…腹の探り合いって感じがしない?みんな笑ってるけど、本当に楽しくて笑ってるのかな」
最後のほうは囁くように少女が告げた。
朱里も我知らず頷きを返す。
「上面だけって感じがする」
「うん。みんな見えない仮面をつけてるみたい。でも、君は違うよね」
少女が笑うと、猫を思わせる大きなつり目がちの瞳が、綺麗な半月型に形を変えた。
薄桃色の唇がきゅっと左右に引かれる。
「心底楽しくないって、顔にすっごく出てたよ。一人だけアンニュイな顔して立ってるから、思わずじっと見つめちゃった」
「ああ、それで」
だから視線が合ったわけだ。
それにしても、そこまで自分は感情が顔に出やすい性質だっただろうか。
「それにね…」
朱里が考え込んでいると、隣で少女が口を開いた。
再び視線が交差する。
今気付いたが、よく見ると少女の瞳は灰色がかった黒のようだった。光を浴びると銀色に色を変える。
「遠くから見てて、素敵だなって思ったの。君のこと」
一言ずつ区切りながら言う少女が、恥ずかしそうにはにかみを浮かべた。
対する朱里はただ瞬きを繰り返すばかりだ。
「だからね。もし良かったら、名前、教えてほしいな」
切りそろえられた前髪の下で、猫の目が朱里を見つめて笑う。
朱里はようやく言葉を返すことを思い出した。
「あー、その…」
果たして何と返せばいいものか。
素直に名前を教えていいのだろうか。
だがそれだけで済むのか?
朱里の頭が混乱をきたし始める。
今すぐこの場から逃げだして、小夜と宿へ帰還したい。
その思いでいっぱいになった頃、遠方から自分へ駆け寄ってくる影が視界に入った。
「朱里さんっ、お待たせしてすみませ……わっ!」
手を振りつつ駆けてくる小夜が、自らのドレスの裾を踏んでバランスを崩す。
派手に床に倒れ込んだ小夜に、周囲の視線が一気に注がれた。
冷やかな視線に気付いていないのか、小夜は苦笑いを浮かべて床の上に起き上がった。
「また…やってしまいました」
「あいつ…」
朱里が駆け寄ろうとする隣で、少女がくすりと笑いをこぼす。
「何あの子、恥ずかしい。さすがにあれはないよね」
同意を求めるように朱里を見上げる。
朱里は少女をじっと見つめて、言い放った。
「なんだ、あんたもあそこにいる奴らと同じか。所詮、上面だけってことだな」
唖然とする少女を二度と振り返ることなく、朱里は小夜の元へ走り去っていった。
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