小さな夜の奇跡





自分には、華やかな社交の場など縁遠いものだと思っていた。

ドレスやタキシードで着飾った人々の笑い声。

互いを値踏みするような視線の海と、息苦しくなるほど好奇の色に満ちた女たちの瞳。

ダイヤモンドをちりばめた七色に輝くシャンデリアの下で繰り広げられるのは、男女の探り合いだけ。


鮮やかな赤い絨毯の敷かれた大広間には、数え切れないほどの人間たちがひしめき合っていた。

扉一枚隔てた外は震え上がるような寒さだというのに、この会場はずいぶん熱気に満ちている。

人々の群れから逃れるように、一人の青年、朱里は隅の壁に背を預けて周囲を眺めていた。

彼は盛大なため息をつく。

まさか自分が社交パーティーなどというものに参加するなんて思いもしなかった。
そもそもこんな場所へ足を踏み入れたいと考えたこともない。

それなのに。

朱里は目を細めて周囲に群れる人々を眺める。

なぜ俺は、こんなところにぼんやり立っていなければならないのだろう。
肩が凝りそうなほど窮屈なタキシードに身を包んで。




本当ならば今頃は、小夜とゆっくり宿で食事を摂っているはずだったのだ。

去年の例に漏れず、小夜は張り切って部屋の飾り付けをしていたし。

「もし、こんな日に初雪が降ったら…」

なんて、他愛もないことを想像して、来たる聖夜を二人で待っていた。

あの男が突然現れたりするまでは。



去年と同じくこの日を狙ったかのように現れたアールは、人畜無害そうな笑顔を浮かべてこう言ったものだ。

「今夜は二人を素敵な世界に招待するよ」

あからさまに怪しい発言にもかかわらず、小夜が安易に興味を示してしまったがために、朱里は今こんな格好でこんな場所に立ち尽くす羽目になっていた。




「…帰りてぇ」

思わず本心を呟いてしまう。

朱里と小夜をここまで案内してきたアールは、会場に着くと早々に人の群れに姿を消してしまった。

おそらくどこかの淑女に愛想笑いを振りまいているに違いない。

「…はあ」

もう何度目になるかしれないため息を漏らす。

小夜が戻って来ればまだ気晴らしになるのだろうが、一向に彼女は姿を現さない。
着替えが手間取っているのだろう。


なんでもこういう社交の場では正装するのが決まりらしく、会場に着いた途端、二人は着替えを強要された。

それゆえ、嫌々ながらも朱里は初めてタキシードというものに身を包んでいた。

普段は無造作に下ろしている前髪も、今は上げて額を出している。


側の壁に設置された大きな姿見には見慣れない自分が映っていた。

なんだか別人みたいだ。

普段とは違う自分に落ち着かなくて顔を背けたところで、一人の女性と目が合った。

ワイングラスを手に佇む黒髪の女性は、朱里に気付くと微笑みを向けてくる。

すぐに視線を逸らしたが、女性の興味は朱里に移ってしまったらしかった。


女性がゆっくりと近づいてくる。

意識してそ知らぬ風を貫く朱里の隣に並ぶと、女性が口を開いた。

「なんで自分がこんなとこにいなきゃいけないのか、って顔してる」

顔色を読まれたのか。
女性に顔を向けると、彼女は笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「当たりでしょ」

ふふっと楽しげに笑う。

「あたしもね、君とおんなじだから」

女性は笑うと幼く見えた。

化粧をしているせいで大人っぽく見えるが、もしかしたら朱里と同年代なのかもしれない。

笑顔に少女特有の無邪気さが混じっている。

「ほんとは家でのんびり過ごすはずだったのよ」

言って少女が頬を膨らませた。



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