割れてガラスが外れた窓から風が入り、少女の長い髪を揺らして通りすぎる。
空はこの状況に似合わないくらい青く晴れ渡っていた。
朱里は窓の外から自分の腕の中へと視線を移した。
その彼の頬にはまだ涙の跡が残っている。
「そういやお前言ってたよな。笑うと幸せになれるって。こんなときでもなれるのか…?」
言って無理やりに口の端を上げてみせる。
「はは…は。無理に決まってんじゃねえかよ…」
何度目かの涙がこぼれそうになって顔を手で覆った朱里の服を、何かがくいっと引っ張った。
朱里は大きな目をさらに見開く。
ぴくり、と長いまつげが揺れた。
ゆっくりとまぶたが開かれ、栗色の瞳が光を点す。
小さく息をつくと、少女は呟いた。
「…おなか…すきました…」
それと同時に鳴るのは腹の虫。
少女は恥ずかしそうに腹を手で押さえて苦笑する。
朱里、唖然。
「お、おまっ…生きて…!?」
そんな彼の顔に、小夜はそっと手を寄せた。
「泣いて、らしたんですか…?」
「ばっ…!泣いてなんかねえっ!なんで俺がお前のために泣いたりなんか…」
「お父様のために泣いてくださったんでしょう?ありがとうございます…。きっとお父様も喜んでくださいます…」
涙をためて小夜は微笑んだ。
朱里もその顔にすっかり毒気を抜かれてしまう。
戸惑いながらも彼は、小夜の体を自分の胸に抱き寄せ、ぽつりと呟いた。
「俺が泣いてたってこと、内緒だからな…」
小夜がくすっと笑った。
「──はい」
それから五日が経った。
ある町でいつものように二人が、これまたいつものように漫才のような会話をしながら食事を摂っていた。
「だーかーら!いくら塩かけようが食べれねえもんは、食べれねえんだよ!」
朱里の声が周りに響く。
それに対抗するように小夜も負けじと言い返した。
「いいえっ、きっと食べられます。ほら、何事も食わず嫌いは駄目ですよ、朱里さん」
ずずいっと朱里の前に皿を突き出すが、朱里はそっぽを向いて、
「あほう!そんなもん食ったら病気まっしぐらだ!いくらなんでも限度ってもんがあるだろうがっ」
ニンジンが見えないほどにどっさりかけられた塩に冷や汗を流して、その叫びは食堂中を駆け抜けたのだった。
しばらくして食事を終えた二人は、人通りの多い表道を歩いていた。
人によくぶつかる小夜をさり気なく朱里が庇いながら歩く。
「そういやお前、もう腕の傷は平気なのか?ほら、左の」
後ろの小夜を振り返って言う朱里に、小夜はうなずいてみせた。
「すっかりよくなりました。元々それほどひどい傷ではなかったようですし」
「だよな。血はあんなに出てたのにさ」
話は四日前に戻る。
病院のベッドに横になって、小夜は包帯の巻かれた自分の腕を見つめていた。
戦場にいてこれだけで済んだのは奇跡的だと医者は言っていた。
軽くノックがされ、朱里が姿を現す。
彼はベッドの隣に無造作に置かれていた椅子に腰かけた。
小夜もベッドから上半身を起こす。
暗い表情で朱里が口を開いた。
「…ハンガル国だけど、王と王子…紫音が死んだって話だ。そのときの状況はよく分かんねえけど。これでハンガル国の王位を継ぐ奴はいなくなった…」
小夜の顔をうかがい見ると、彼女は下を向いたまま驚いているのか押し黙っていた。
朱里はそのまま続ける。
「お前はどうするんだ…?マーレンには正当な王位継承者のお前がいる。国を立て直すことだってできるんだ。国民はきっとそれを望んでる、お前が国の柱となって自分たちを導いてくれることを…」
風が吹いて、カーテンがパタパタと揺れた。
朱里は膝の上に置いたこぶしを握りしめる。
「そうするとお前はもう、自由に国からは出られない…。こんなふうに俺が気安く話しかけることだってできなくなる。もちろんそれは仕方ないことだ。だけど、俺は…」
うつむいて言う朱里に小夜が声をかけた。
顔を上げると、髪を風になびかせながらこちらに柔らかい微笑を向ける小夜の姿があった。
窓から差し込む陽の光が、彼女をとても綺麗に見せている。いや、実際小夜は美しいのだと朱里は改めて気づいた。
「私は…朱里さんと一緒に行きます。言ってくださったんです、お父様が。私は自由になっていいんだって…好きなように生きなさいって。私は、朱里さんの側にいたいんです」