それまで固く閉じられていた王のまぶたがゆっくりと開き、目が小夜の姿を捉えた。
「…小…夜か…」
息が漏れるように王は弱々しく声を出した。
小夜はうなずきながら、
「はいっ…小夜です、お父様っ。しっかりしてくださいっ」
その目に涙をためて答えた。
「お前…にはすまない…ことをしたな…。許してくれ……小夜」
そう言うと王は再び目を閉じる。
「お父様っ!」
王はかすかに口を開けた。小夜はそこに耳を寄せる。
「…小夜…お前はもう…自由に…なって、い…んだ……」
王の首から力が抜けた。
呆然とその顔を見つめていた小夜の目からぼろぼろと涙があふれ出す。
動かなくなった父の体にしがみついて小夜は声を上げた。
「や…嫌ですっ!!お父様っ、お父様っ!私を一人にしないでぇ……!!」
父はもう何も答えない。
小夜の両手がその血で赤く染まっていく。
父の顔からは、みるみる生気が失われていく。
「ああああああああああああっ」
朱里がその部屋に着いたのは、それからしばらくしてのことだった。
彼の目前には二人の人物が倒れていた。どちらも動きひとつない。
一人はマーレン王だろう。
背中の刀傷が致命傷となったのか、もう息はない。
そしてもう一人は──
血に染まり、王にしがみつくようにして倒れている小夜だった。
朱里は目を見開く。
その体を腕に抱き起こし、
「…おい。おい、起きろよ!!」
軽く揺さぶると、その瞳が開かれた。
徐々に焦点が朱里に合い、小夜の口がわずかに動く。
「……ゆ、め……?」
え、と小夜の口に耳を寄せた朱里の手に、ぬるりとした液体が触れた。
見ると小夜を支えている右手が、血に濡れて真っ赤に染まっていた。
小夜の二の腕に大きな切り傷があり、そこからかなり出血していた。
「お前…!」
透けるような白い肌に走ったそれは、ひどく痛々しい。
「…朱里さんが、来てくださるわけ…ありませんよね…。私は夢を、見て…」
悲しげに笑う小夜に朱里の胸が痛んだ。
普段は血色のいい小夜の顔が、今は恐ろしく白い。
そっとその頬に触れると少し冷たかった。
「夢じゃねえよ…!俺はちゃんとここにいる。ほら、分かるだろ?」
きゅっ、と小夜の小さな手を握り朱里は呼びかける。
小夜は虚ろな目をその手へと向けて微笑んだ。
「…あったかい…」
「だろ?なあ、いったい何が起こったんだ…なんでこんなことに」
ここまでの惨状を朱里は見てきた。あまりに惨いと思いながら。
その問いに小夜はしばらく黙っていたが、掠れた声で呟いた。
「…朱里、さん……私は全部…全部、失ってしまいました…。お父様も…大好きなみんなもっ……何ひとつ守れなかった」
朱里を見る瞳から涙があふれ、目尻を伝って髪を湿らせた。
小夜は震える両手で顔を覆い隠す。
「わ、私は…いつも、いつも何の役にも立てなくてっ……、いろんな人から助けてもらって生きてるくせに…誰も助けられない。助けてあげられないっ…。本当に、ばかで……どうして、どうしてこんなに駄目なんでしょうっ…私は──せめてみんなの代わりができたらいいのにっ…」
嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる小夜を朱里はじっと見つめた。
「確かにお前は馬鹿だけど、愚かじゃあない。誰の役にも立てないなんて思ってるのは、きっとお前だけだよ。お前はいろんなところで人を救ってる。…知らないだろ?お前が笑うと、周りも自然に笑顔になるんだぜ。それに城の奴ら、お前が戻ってきたら喜んだろ?誰も、嫌いな奴のために喜んだりしない。お前はみんなに愛されていたんだ」
朱里は小夜の顔を覆う手を取り、その顔をのぞきこんだ。涙に濡れた瞳が朱里の視線を受け止める。
「俺だって、わざわざこんなとこまでお前のために来たりしないよ。嫌いだったらな」
「…朱里さ…」
言いかけた小夜の口をふさぐように、朱里の唇がそっと触れた。
小夜の冷たくなってしまったそれを温めるように。
顔を離した朱里は、わずかに赤い顔を小夜に向けて言う。
「言っとくけど、おはようの挨拶じゃないからな。今までもやもやしてた気持ちの正体が、なんかお前の顔見たらはっきりしたよ」
そしてふっと微笑む。
優しい目で腕の中にいる小夜を見つめながら、
「お前、俺に聞いたよな。宝物は何かって。あのときは答えられなかった。実際なかったんだ、そういうの。でもさ、今は答えられる。…やっと見つけたんだ、俺の宝物」