「…ひどい…」

兵士が町に入ってきたのだ。

周囲は静けさに包まれ、動いているのは自分以外何もない。

不気味で恐ろしい光景だった。
ここで立っているのは自分一人だ。

怖くなって走り出した。

この朽ち果ててしまった地に長くいたくなくて、必死で走った。


向こうには城が見えている。


*****



「なんだ、この音?」

食堂で早めの朝食をとっていた朱里は、ふと耳に入ったその音に注意を向けた。
爆弾だろうか、それがいくつも爆発している。

「…そんなに遠くねえな」

そのとき大慌てで食堂に駆け込んでくる男の姿が視界に入った。

男はひどく動揺した様子で、食事をとっていた数人の者たちに聞こえるように叫んだ。

「大変だっ!!マーレンの城下町が砲撃を受けてやがる!ほら聞こえるだろ、この音だよ!!この町はあそこに近い。みんな、念のため逃げる準備をしといたほうがいいっ」

一斉にざわめきが生まれ、食堂内は一時騒然となった。

男の言うことは本当なのか、しかし音が確かに聞こえるし、と人々は戸惑いを隠さない。

そんな中、朱里は席を立つと男に詰め寄った。

「おい!城下町ってことは、城も攻撃を受けてんのか!?いったいどこの国が攻めてるんだ!」

朱里の迫力に圧倒されながらも男は答えた。

「ハ、ハンガル国だよっ。つい最近マーレン国王女とハンガル国王子が結婚したばっかだってのに…どういうことだか」

男はそのまま外へと飛び出していった。
きっと辺りの店々に注意を呼びかけるためだろう。

朱里は一人立ち尽くしたまま、ぽつりと呟いた。

「…あいつは今ハンガル国なのか? それとも…」

砲撃の大きな音が響いた。
その瞬間、朱里は外へと走り出す。

空を見ると向こうのほうで煙が上がっていた。

朱里の足は無意識のうちにそちらへ向けて進み始めた。

(いないならそれでいいんだ。だが確かめるだけはしとかねえと…)


*****



マーレン国は圧倒的に不利の状態にあった。

何より突然のことなので準備さえ整っていなかった。
慌てて軍を整えるものの、それが間に合うはずもなく大半の兵は初めの砲撃によって失われており、後の歩兵に対抗する術は無に等しかった。

敵にいとも容易く、城への侵入を許したのである。



城の中は街ほどの惨状ではないものの、相当ひどい状態だった。

小夜はあまりにも変わり果ててしまった我が家に目をつぶりたくなった。

窓という窓は全部割られ、至るところの部屋の扉は壊されている。

そして足元には動かなくなった侍女や兵士たちが血にまみれて倒れていた。
敵はすでに去った後なのか、城の中からは何の気配もない。


心臓の音が大きくなっていく。
背中を汗が伝った。

「お父様、どこに…」

割れて落ちた窓ガラスを踏みながら廊下を曲がった小夜の腕を、誰かが掴んだ。


「あっ…」

それは鎧を身にまとった一人の兵士だった。

荒い息を吐きながら、小夜に剣を向ける。
もちろんマーレンの兵士ではない。

兵士の目はひどく虚ろだった。

怪我をしているのか、頭から幾筋もの血の流れがこみかめを伝って床を赤く汚している。
そのせいで足取りもずいぶん危うい。

小夜はとっさにその手を振りほどき走り出した。

瞬間、腕を斬りつけられ焼けた痛みがはしったがそれでもかまわず走り続けた。

追いかけられることを恐れたが、その兵士がついてくる様子はなかった。



安全な場所までくると、小夜は自分の左腕を見た。

その二の腕には一本の赤い線がはしっており、そこから血がとめどなく流れているようだった。

小夜は赤い血に目が霞むのを感じた。
頭に血まみれの部屋が浮かぶ。

震える体を腕で抱き、彼女は再び走り出した。

向かう場所は分かっている。

「…お父様っ」




扉はわずかに開いていた。

小夜はそのドアノブに手をかける。

心臓の音が耳に鳴り響いていて、ほかには何も聞こえない。

ゆっくりと扉を押し――



赤い色が見える。
あのときと同じ色だ。


ずきんと頭が痛んだ。

母の顔が浮かぶ。
誰かと争っている母の姿。

何かをこちらに向かって叫んでいる。


──何?
何て言ってるの?

聞こえないよ、心臓の音がすごくうるさくて。

お願い、そんな怖い顔しないで……私ちゃんとがんばるから。

"早くその……でア……なさいっ!"

──え?何?もう一度言って。

"早くその剣でアールを刺しなさいっ!"

──怖いよ、お母様…。アール…アール、助けて。私を助けて…。



我に返ると扉は完全に開いていて、部屋の中が目に入った。

床にできた血だまり。
その側には。


「……お父様っ!!」


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