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第7章
絶望と安らぎの話
少女は必ずあのネックレスを身につけていた。
たとえどんなに大切な日であろうと外す気はなかった。
それが自分の結婚式であろうと同じことだ。主役として前の席に座っている少女の首元には、中心に小さな石のついた花びらのネックレスが光っていた。
少女はそっと首元のそれに手を添えた。
花びらが小さく揺れる。
周りのことなど少女にはどうでもいいことだ。
何も考えず、何も感じずに式は終わりを告げた。
「え…?」
初めてそれを聞いたとき、紫音は喜ぶよりも先に驚きを感じた。
もう会えないと思っていたのだ。
ましてや結婚など夢のまた夢だ、と。
「小夜が結婚の申し出を受けた…?そんなはずは…彼女は僕を嫌って」
言いかけた紫音の目に、父の後ろにたたずむ少女の姿が映った。
「小夜。…小夜…?」
だが、小夜は今まで見たことがないほど無表情で虚ろな目をしていた。
紫音は気づく。
ああ、目に光がないんだ。
よほどのことがあったのだろうということは、すぐに分かった。
だが紫音は小夜にそれを尋ねることはしなかった。近づくことさえ彼には躊躇われた。
それは自分が相当嫌われているということを、嫌ほど自覚していたからだ。
紫音は半端な気持ちのまま式を終え、小夜とともに過ごす初めての夜を迎えることとなった。
開け放たれた窓からは夜の匂いが漂っている。
月はちょうど雲から出て明るく耀き出していた。
部屋の中は灯りは点っているものの、空気はひたすら暗い。
寝巻きに着替えた紫音が重々しい表情でベッドを見つめて一人立ちすくんでいた。
「…どうすればいいんだろう…」
ぽつりと呟く。
そのとき後ろの扉が開いて、これまた寝巻き姿の小夜が入ってきた。
立ち尽くしている紫音に「寝ないのですか」と尋ねると、紫音は慌てて、
「い、いや…ベッドが一つしかなくて…。今小夜の部屋も用意させるから」
「なぜですか。ベッドは一つあれば十分です」
「でも小夜が…嫌だろう?」
首を振って「いいえ」と答える小夜の顔は、何の表情も映していない。
どこか投げやりな彼女の態度に紫音は少しむっとした。
「なぜ僕との結婚が嫌なら戻ってきたんだ?あのままあいつと旅でもしてれば良かっただろう。…小夜は、結婚した者が夜を一緒に過ごすということの意味を知っているのか?知っていてこの部屋に来たというのなら僕はそうする。…もう後には戻れないんだぞ」
ピクッと小夜の表情に変化があったが、それは一瞬のことだったので紫音が気づくことはなかった。
気づいたとしても小夜があいつ≠ニいう言葉に反応したとは思いもしないだろう。
すぐに小夜は無表情に戻った。
「…もう私には戻れる場所なんてありません。誰も私を必要としてくれる人なんていません。私はここにいます。あなたが私を捨てるまでここにいます…」
小夜の言葉から感じられるものは絶望だけだった。
紫音はすぐに自分が言った言葉を後悔した。
「…すまない、ひどいことを言った。小夜、僕は絶対にお前を捨てたりなんかしない。一生側にいると誓う。だから…」
うつむいた小夜の頬に紫音はそっと手を寄せる。
今度は前のように怖がりはしなかった。
そのままその小さな体を自分の胸に抱いても、彼女は紫音に身を任せたまま動かなかった。
恐る恐る紫音は小夜の細い体に回した腕に力を入れる。ほのかに甘い香りが彼の鼻に届いた。
「――だから、僕を必要としてくれ…」
少しでいいから自分を見てほしい。
いつの頃から自分はそんなふうに思うようになっていたんだろう。
窓から入ってくる風にカーテンが揺れた。
部屋の中は暗い。灯りは消されている。
そんな中、二人はベッドの上にいた。
「小夜…いいのか?」
横たわった寝巻き姿の小夜の上にいる紫音が遠慮深そうに言った。
小夜はしばらく黙っていたが、こくんとうなずく。
「…はい」