「おはよう、ございます…ふわ」
目をごしごしこすりながら小夜が起きてきた。その姿はまだ寝巻きのままだ。
もうすでに朝食の席に着いて小夜を待っていた朱里は、早く着替えるように促すと机に頬杖をついた。
上にはパンやサラダなど胃に優しいものが並べられている。
何を見るともなしにぼうっとしていた朱里の視界に、着替え終わってパタパタと駆けてくる小夜の姿が映った。
「お待たせしました、朱里さん」
「早かったな」
それに自信満々に小夜が答える。
「早業を身につけたんですっ!今まではいろいろ遅かったかもしれませんが、これからは違いますよ。てきぱき行動するんです!」
なんとなく相槌を打って朱里は小夜を見た。
彼女は席についてパンにバターを塗り始めているようだ。目線がパンに注がれている。
「お前も変わったよな」
小夜は顔を上げて自分を見る朱里に首をかしげた。
「変わりましたか?私」
「ああ、変わった。初めの頃はひどかったもんな、行動全般において。常識ってもんのカケラもなかったからな」
小夜は苦笑していたが、思いついたように指を立てた。
「朱里さんだって変わりましたよ!今では一緒に食事なさってくれていますっ。今朝は待っていてくださいましたし」
朱里は目を点にする。
自分が変わっただなんて考えたこともなかったが、よくよく考えると実際その通りだ。
そう思うと、急にここで小夜とともに朝食をとっている自分が恥ずかしく感じてきた。
「…なんで俺、待ってたんだろう。当たり前のように」
顔を赤くして呟く朱里に、小夜がその問いに答えるように笑いかけて言った。
「やっぱり食事は一人よりも二人です!朱里さんもきっとそうお思いになってきたんですよ。嬉しいです、こうして食事をご一緒できて。初めは朱里さんが本当に私のことを嫌がっていらっしゃったので寂しかったのですが、今は感じなくなりました」
──寂しかった?
朱里はじっと小夜を見た。
ずっと楽しそうに笑っていたのに、心中ではそんなことを感じていたのかと初めて気づく。
確かに自分は最初、突き放した態度をとっていた。
だが何を言おうが、小夜はにこにこしながら自分の後をついて来ていたから。
気づかなかった。
小夜だって不安だったのだ。
不安で時には眠れない夜だってあっただろう。
寂しさに身を震わせたときだってあったかもしれない。
そのことに自分はまったく気づかなかった。
もしかしたら昨夜だって、そういう気持ちから自分のところに来たのかもしれないのに。
「ずっと寂しかったのか、お前」
「あっ、でももう平気ですよ!こうして朱里さんがお側にいてくださいますから」
それを聞いて朱里の胸がちくっと痛んだ。
これからすることを考えると小夜の顔を直視できない。
(…これは裏切りなのかもしれない…。でも、こいつのためには…)
そのときは確実に近づいている。
裏切りなのか、そうではないのか。
朱里にはよく分からない。
ただひたすらに考えるのは小夜の、未来──。
心はどんどん重く沈む。
そして終わりは徐々に見えてきた。
二人は森を歩いている。
正しく言うと森の中の小道だ。
木々の間から漏れるあたたかな陽の光に目を細めながら、朱里は空を見上げた。
ゆっくりと雲が流れていく。
その向こうには少しずつだが、町の高い建物の屋根が見えてきていた。
「いいお天気ですねー」
振り返ると、空に手を伸ばして小夜がいつものように微笑んでいた。
だが朱里はその顔をまっすぐ見ることができない。うつむいて彼は歩き続ける。
(…心がもやもやする。なんなんだろうこの感じ。仕方ないだろ、もう決めたんだ。俺にはどうしようもないんだ。どうすることもできない…。ただこれ以上になるのは防げる。だから…)
懐かしい景色が二人の前に広がった。
「え…」
そこは始まりの町。
「どうして…朱里さん…ここは」
大きく見開かれた小夜の目に映るのは、彼女が逃げ出してきた町マーレンであった。