第5章

去りゆく少年の話





「おい!おい、しっかりしろよ!」

小夜の体を腕に抱いて朱里はその肩を揺さぶった。

小夜は目を閉じたまま動かない。

(どうしたんだ突然。何が起きたんだ)

朱里自身、わけが分からなかった。

急に小夜の様子がおかしくなったのだ。

それまでは笑えてさえいたのに。

くたっ、と力の抜けた小夜の体を抱きかかえて、朱里は側にいた少年のほうを向いた。

少年はなんとも言えない辛そうな顔で小夜を見ていた。

「おい、お前」

朱里が声をかける。
すると少年が小さく呟いた。

「また僕のせいで小夜が…。僕は何をしたんだ…」

自分の両手をぐっと握ってそれを顔に押しつける。

「怖がらせるために会いに来たんじゃないのに…」

少年を見ていた朱里はため息をついて、

「付いてきてもいいぞ。お前がそうしたいんなら」

少年は顔を上げた。

「でも僕がいると、小夜が嫌がる…」

「嫌がられてもいいじゃねえか。こいつだって俺が嫌がってんのに無理やり付いてきたんだ。お前もお前のしたいようにしろよ」

言われて少年は目を丸くした。
まばたきをしながら、

「それは…、自分勝手ではないのか?」

「なら来んな」

「いや、行く」

朱里は歩き出し、少年に言った。

「付いてくんなら、そこに落ちてるサンドイッチ持ってこい。まだ食べてないんだ」

少年は慌ててそれを拾い上げ、朱里の元に走る。

朱里はそれを見て、やっぱり子供だからまだ素直だ、とひそかに笑う。

しかし、数分後。

(…そういえば、まだ朝食をとっていなかったな。ちょうどこれがあるし、これを食べるか)

朱里の後ろを歩きながら少年はサンドイッチを頬張り始めた。

もちろん、朱里は気づいていない。少年の口だけがもごもご動き続ける。


****


宿屋にて。

「どうしてお前は小夜を連れていこうと思ったんだ」

いきなり紫音が訊いてきた。
隣の部屋では小夜がぐっすり眠っている。

「なんだよ突然」

「さっき小夜が無理やりお前に付いてきたって言っただろう。小夜を置いていくことだってできたはずだ。それなのに、お前は連れてきた。なぜだ?」

その問いに朱里は困惑する。

「なぜだって言われても…なんとなくだよ」

「本当か?」

じい、と詰め寄ってくるので、朱里は座っている椅子から落ちそうになった。

紫音は朱里を見つめて、

「下心があったんだろう?」

今度は本当に朱里も椅子から落ちてしまった。

「ねえよ!そんなもんっ!!」

ぶつけた尻をさすりながら椅子に座り直す。

朱里には紫音の質問の意図が分からない。

「じゃあ、小夜に一切変なことはしていないんだな?」

「あ?まぁ…一切じゃないけどな。最初あいつが城に戻らないって頑固なもんだから、ちょっとビビらせてやろうって…」

突然、紫音の手が朱里の胸ぐらを掴んだ。
その顔は怒りで赤くなっている。

「何をしたんだ」

体を激しく揺さぶられて、朱里の頭が上下する。

「た、ただ服に手ぇ入れて腹触っただけだって。あとは何もしてねえよ、ほんと」

「…やっぱり下心があったんだな。確かに、あんなに可愛らしい小夜に対して、変な気を起こさないほうが無理なことだが」

ちらっと見ると、紫音はまじめな顔でそう告げている。
これには少し笑えた。

「可愛いっつっても、あいつドジだぜ。相当な」

「それが可愛いんだ」

真顔で即答する紫音。

朱里の中で紫音の当初のイメージがかなり崩れたことは言うまでもない。

(こいつ、なんかやべえぞ。マジで言ってるのがさらにやべえ)

微妙に紫音の座る椅子から自分の椅子を離す。

「それなのに、お前はなんだ!?噂とは正反対じゃないか」

ビシィと朱里を指差して紫音は言った。

「噂?なんだそれ」

「噂では美形で長身、穏やかな雰囲気のどこかの貴族と聞いていた…。それなのにお前は何なんだ?」

「な、何なんだって…」

かなり失礼なことこの上ない。
朱里は少々むかときた。

「お前こそ、その喋り方なんとかしろよ。年上の俺に向かって、お前とか言うな」

それを聞いて紫音がくすっと笑う。

「年上?お前が?そんな大きい目だと僕より幼く見えるな」

朱里の口がわなつく。

「てっ…てめえにそんなこと言われる筋合いはねぇ!!」


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