「…僕は小夜を迎えに来た。お前こそ誰だ。なぜ小夜と一緒にいる。お前が城から小夜をさらったのか?」
「はあ?んなことしてねえよ。それに俺が誰といようが俺の勝手だろ。お前こそ、迎えに来たとか言ってるくせに、思いきり嫌がられてんじゃねえかよ、悲しいぐらいにはっきりと」
それを聞いて少年の眉間にしわが寄った。
急に不機嫌な顔になる。
「うるさい黙れ!!お前はさっさと小夜を渡せばいいんだ!」
突然の大声に、小夜の細い肩がびくりと跳ねた。
朱里は少年を見てため息をつく。
「住宅街で大声出すなよ。それに、こいつは渡せないぜ。一応俺の相棒ってことになってるみてぇだから、こいつの中では。あきらめて帰れよ。暗くなったらここら辺結構やばいぜ。お前みてえないいとこの坊ちゃんには危ねえんじゃねぇの?」
少年の身なりのよさには朱里も気づいていた。
年は朱里より下だろう。
不機嫌そうな顔が、さらに少年の年を若く見せている。
しかし、この上目線の態度はなんだろう。ある意味命知らずだ。
「じゃあな」
朱里は少年に背を向けると、そのまま小夜を連れて歩き出した。
「必ず、必ず小夜は取り返すからな」
後ろで少年が呟くのを耳にしたが、朱里は振り向かない。
いつしか少年の気配は消えていた。
「大丈夫か?」
部屋を取り、ベッドに小夜を座らせて朱里が尋ねる。
だが小夜は返事をしない。がたがた震えているだけだ。
(こりゃ相当だな)
仕方がないので体を横にさせる。
「夕食は持ってきてやるから、それまで寝てろよ」
去ろうとした朱里の手をぎゅっと小夜が握った。
振り返ると、起き上がりかけてこちらを見つめる小夜の姿。
「どうした?寝てろって」
小夜はぶんぶんと首を振る。
「ここにいてください…。お願い…ひとりにしないで…」
手を離そうとしない。
朱里は息をついてベッドの傍らにあぐらをかいて座った。
「分かったよ。だから寝ろ」
小夜の手を握り返してやると、彼女は安心したように目を閉じた。
それから少しして寝息が聞こえ始める。
朱里は自分の手を握る小さな小夜の手を見た。
いったいどうしたんだろう。
少し前までは安いネックレス一つであんなにも笑っていたのに、今はこれだ。
怯えきっている。
あの少年が何かしたのだ。
ここまで小夜を怖がらせる何かを。
泣いて嫌がる小夜と、自分を見つめ返してきた少年を思い返して、朱里はわけの分からない苛立ちを感じた。
気がつけば、小夜の手を強く握っている自分がいる。
目を覚ますと見慣れた天井。
見慣れた自分の部屋。
『おはよう、ございます…』
小夜は眠さで開ききらないまぶたをこする。
ふと、異変に気づいた。
『…変なにおい…』
生臭いような、鉄臭いようなそんな臭い。
視界が次第にはっきりしていく。
途端、真っ赤な世界が小夜の目に飛び込んできた。
壁に散る赤い染み。
床に溜まった赤い水たまり。
そして。
『…お母様…?』
その中に転がっている赤い母の姿。
ベッドから降りるとぱしゃん、と足が赤い水たまりで濡れる。
水たまりは不思議と温かかった。
母の側に膝をつき、そっと手を近づける。
母の体は冷たい。
それだけがこの空間の中で恐ろしく冷たい。
ふっと目を開いた。
部屋の中はいつの間にか暗くなっている。
「……あ」
温もりを感じて横を見ると、床に座り込んだ朱里が小夜の手を握ったまま、頭だけベッドに乗せて眠っていた。
「…ずっと、いてくれたんですね、側に…」
小夜は嬉しさに微笑みをこぼす。
なんて温かい人なのだろう。
「あ、でもこのままでは朱里さんが風邪を引いてしまいます。ええと…」
小夜はベッドから抜け出すと朱里の隣に座り、シーツで二人の体を包んだ。
「えへへへ、温かいです」
小夜は朱里の寝息がかかるくらいまで顔を近づける。
そんな二人の姿を、ベッドの向こうの窓からのぞく月がほのかに照らす。
「初めて会ったときも、こんなふうに月が出ていましたよね。窓から見下ろすと、ちょうど月の光でお顔が見えて…今みたいに…」
眠る朱里の顔に、小夜の顔が近寄せられる。
月に照らされて、床に映る二人の影はそのときわずかに重なった。