「ひっく…っく」
むせび泣いて小夜は顔を上げようとしない。
ただ、ときどき嗚咽を漏らすくらいだ。
朱里はそっと、そんな小夜の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
冷たい風が入ってくる扉を振り返ると、暗闇の中にいくつか星が瞬き始めているようだった。
朱里の頭にきらきら輝く時計台の金銀の宝石の姿が浮かぶ。
人工的な光より、よっぽどきれいだ。
きらっと星が光るのを見て、朱里はそう思った。
宿の部屋に戻って朱里は開口一番に叫んだ。
「どうしたそれ!?」
突然の大声にびっくりする小夜の腕をぐい、と上げる。
見れば小夜の両手の平は痛々しく皮膚が破れ、出血していた。
「どうしたんだよ、これ」
「えっ、あ…えと…すっかり忘れてました」
自分の手の平を見て小夜自身も驚いているようだ。
「もしかして、ロープ握ってたときに怪我したのか?」
あのとき使っていたのは麻のロープだ。
表面がざらついていて滑りにくいという良い点もあるが、怪我もしやすい。
特にこんな柔らかそうな女の手ならなおさら。
「なんですぐに言わねえんだよ。痛かっただろうが」
ごそごそと荷物の中をあさりながら朱里が言った。
救急箱のふたを開け、中から真新しい包帯を取り出す。
「これ巻くからそこに座れよ。んで、両手前に出せ」
「は、はい」
すとん、と小夜はベッドの上に腰を下ろして手を差し出した。
傷はひどいものだった。
朱里が眉を寄せてその手を見る。
どれだけ必死にロープを握っていたのかは、これを見れば一目瞭然だ。
なるべく傷口が傷まないように、朱里は慎重に包帯を巻いていく。
(…こんな細い腕で、俺とそれにオリハルコンも支えていたのか。なんか…)
黙って手を動かす朱里を見ていた小夜は、急にぺこんと頭を下げた。
「す、すみませんでした。朱里さん」
「は?何が?」
意味が分からず朱里はベッドに座っている小夜を見上げる。
小夜は困ったように、
「怒って…いらっしゃるようですので…。また私は何かしてしまったんですね。あっ、もしかして、つい先ほど朱里さんのお洋服を涙で汚してしまったから!?ごめんなさい、あのようなことはもう二度とっ…」
あわわわ、と一人パニックに陥る小夜に朱里も慌てた。
「ちょ、ちょっと待て!いつ俺が怒ったんだよ?それに涙だけじゃなくて、鼻水もついたぞ」
間違いはきっちり訂正する朱里。
「ですが、お顔が怒っていらっしゃって…」
「怒ってねえよ、別に。ほら、巻けたぞ!用がないなら部屋に戻れよな」
小夜を立ち上がらせると、朱里は自分がベッドに座った。
小夜はドアの前でお辞儀をして、
「あの、包帯を巻いてくださってありがとうございます!それでは朱里さん、お休みなさい」
パタンとドアが閉められた。
ベッドの上に座ってしばらく朱里は、小夜の出ていったドアを睨むように見ていたが、
「あーっ、くそっ!!」
頭を抱えて叫んだ。その顔は赤くなっている。
「何だよ俺っ!助けてもらったくせに礼ぐらい言えねえのかよ!しかもあんな怪我までさせて…情けねぇ。はぁ…」
今度は急に落ち込んでため息までつく。
そのまま彼はベッドに横になった。上に伸ばした両手をぐっと握り、
「明日は言えりゃあいいなー」
そしてまた重々しいため息を一つ。
「無理、だろうなきっと。俺のことだから…」
部屋のドアを閉める。
そのまま小夜は力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「あ…は、今頃になって震えてきました…」
包帯の巻かれた手がカタカタと小刻みに揺れる。
目からは涙があふれてきた。
「よかった…よかったです…」
震える右手で、同じように震えている左手を包んで胸に抱き、小夜は微笑んだ。
泣きながら、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「朱里さんは…生きてます。生きてます…」
ぽたっと涙のしずくが床を濡らす。
星の輝く夜、二人はそれぞれの想いを胸に秘めて眠りについた。