余裕で20キロは超えそうなオリハルコンをしっかりと抱え直し、朱里は左側を見た。
巨大な長針が55分を指している。
彼は強い風が吹く中、ロープを上り始めた。
ギギイ、と歯車が音を立てる。
暗い部屋の中、小夜は朱里に言われたとおり座ってじっとしていた。朱里が出ていって何分が経っただろう。
「…朱里さん、大丈夫でしょうか…」
気になる小夜だが動くことはできない。
うずうずして彼女は周囲をきょろきょろ見回してみた。
ギ、と音がした方を向くと歯車。
そして──。
「あっ」
その側の柱にくくりつけてあるロープが歯車に絡まっているのが見えた。
そのせいで歯車の動きはさらに鈍くなっているようだ。
だが問題点はそこではない。
「だ、駄目ですっ!駄目──」
ぶつり。
嫌な音がしてロープが切れた。
とっさに小夜が走る。
「んっ…!」
空への扉の直前でなんとか彼女はロープを掴むことができた。
掴んだときの摩擦で手の平がすれて血が流れる。
危うくそのまま扉の向こうへ連れていかれそうになるのをこらえて、小夜はロープを強く握った。
「朱里っ…さん」
がくん、と体が沈んだ。
突然のことだった。
「なんだ…?おい、どうし…」
上に向かって叫ぼうとした朱里は目を大きく見開いた。
上半身を空に投げ出してロープを掴んでいる小夜がいたからだ。
「…朱里さんっ!早く、上がってきてくださ……私の力じゃ持ち上げられませんっ…」
確かに小夜の腕はぶるぶる震えている。
何が起こったのか、朱里は瞬時に理解した。
(ロープが切れたんだ…)
「あっ…!」
ずっ、と体がさらに下がった。
「す、すみませ…」
朱里は小夜の辛そうな顔を見上げる。
(無理だ。女の力で支えられるわけない。下手したら、あいつまで)
「おい、お前」
「は、はい…」
「手ぇ放せ」
ぱちっと小夜の目が朱里を見た。
朱里は続ける。
「もういいよ。お前が手ぇ放しても別に恨まねえから。もう限界だろ?お前まで俺の巻きぞえ食って落ちても、嬉しくねえし。嫌なんだよ、そういうの。死ぬときくらい誰にも迷惑かけずに…」
「私も嫌です!!」
突然小夜が叫んだ。
「私だって嫌ですっ。何もせずに誰かが死んでいくのなんて絶対嫌です!!朱里さんに死んでほしくないから、だから頑張るんですっ!あきらめないでください。朱里さん、あきらめないでくださいっ」
「…お前…」
あんなに腕だってがくがく震えてるし、体だって今にもロープに引きずられそうなのに、それなのに。
──あきらめるな!!
小夜の顔を見る。
彼女は辛そうな顔を浮かべながらも、ロープを放したりはしない。あきらめてなどいないのだ。
「くっそ…」
朱里はぐっとロープを掴むと再び上り始めた。
(死んでたまるか!!)
重い。
風が吹くたびに手に力が入らなくなる。
小夜の腕はもう限界を超えていた。
手の平の痛みでなんとか意識を保っているようなものなのだ。
朱里はおよそ二メートル下を上っている。
(あともう少し。もう少しだけっ…)
震える手に力を入れる。
残り一メートル。
あと少し。
小夜はほんの少しの安心を感じてふう、と息をついた。
張りつめていた緊張が解けた、その瞬間。
ずるっ。
ロープはあっさり小夜の手から放れた。
そのまま夜の闇に飲み込まれていく。
「朱里さんっ!」
扉から身を乗り出した小夜に一言。
「なんだよ」
「あ、え…?あれ…」
長針にしがみついていた朱里が声をかけたのだった。
力なくどさっと朱里は床に座り込んだ。
「あー…、死ぬかと思った…」
くてっと首を天井に向ける。
そんな彼に、小夜はなかば泣きそうな顔で抱きついた。
小夜の頭が朱里のあごにヒットする。
「…って!お前なー」
「朱里さん朱里さん朱里さんっ!よかったですっ、本当によかったですっ!!もし死んでしまったら、どうしようかと思いましたぁああ」
ひしっ、と朱里の服を掴んでおいおい泣き始める。
朱里は慌てて小夜を引きはがそうと彼女の肩に手をやり──。
小夜の肩は小さく震えていた。
よくよく見てみると、服を掴んでいる手も小刻みに震えている。