「でも朱里さん。食事は大勢で食べたほうがおいしいですよ、きっと。私、城にいた頃はいつもみんなと楽しく食べていました。お父様がいて、メイドさんたちがいて…すっごく幸せでした」
「じゃあ、今は幸せじゃねえのかよ。ま、そりゃそうだよな。こんな子供顔の男と二人で安っぽい飯食っても、楽しかねーもんな」
どうやらさっき言われたことを、まだ気にしているらしい。朱里は自嘲ぎみに笑った。
「いいえ、いいえっ。今もすごく幸せです。私には初めての世界なんですっ。それに…朱里さんのお顔は変じゃありませんよ?私、朱里さんのお顔、大好きです!だから笑ったお顔が見てみたいです。朱里さん、にっこり笑ってみませんか?」
小夜が朱里に微笑みかける。
朱里は少しの間その顔を見つめていたが、はっと我に返り、
「ばっ、馬鹿じゃねえか、お前。そう言われて笑えるわけねえだろ!」
がたん、と席を立って窓際に向かう。
「でも」
小夜の声に朱里は後ろを振り返った。
「──笑うと幸せになれますよ」
にこにこと笑う小夜。
朱里は目をぱちくりさせた。
「逆だろそれ。幸せだから笑うんだろうが」
「いいえっ、ほんとうに笑うと幸せになれるんですっ」
真剣そのものの顔で言う小夜に、朱里が訊く。
「…じゃあ、今お前幸せ?」
小夜はこくんとうなずいて答えた。
「はいっ幸せです!」
それを見て朱里は口の端を持ち上げる。
「……変な奴…」
空が茜色から黒に変わり始める頃、朱里の仕事の時間が訪れる。
荷物を掴んで立ち上がり、隣の席に座っていた小夜を見た。
「行ってくるけどお前は大人しく待ってろよ。部屋から出んじゃねえぞ」
しかし小夜は首を振った。
「私も朱里さんのお仕事を手伝います。一緒に連れていってくださいっ、お願いします!」
「…つーか、なんでお前そんなに目輝かせてんの?遊びに行くわけじゃねえんだぞ、分かってんのかよ」
「分かっています。お仕事に行くんですよね?」
意気込んだ様子で小夜は朱里のほうに身を乗り出して懇願した。
「どうか、どうか足手まといにはならないので、連れていってくださいっ!朱里さんのお側にいさせてくださいっ」
「お…お側に、って…」
朱里は小夜の前から少し後退さって頭を掻いた。
小夜はひたすら両手を胸の前で組んだまま朱里を見つめている。その視線が痛い。
「…わ、わかったからその目やめろ。なんか罪悪感、感じるんだよ…」
ぱあっと小夜の顔が明るくなった。
「うわぁ、お仕事ですねっ!ありがとうございますっ」
心底嬉しそうな笑みがこぼれる。
それを見て朱里はため息をついた。
「何がそんなに楽しみなんだか」
日が完全に沈むと、外の人通りは少なくなり辺りは闇に包まれる。
暗い大通りを二人の人物が歩いていた。
一人は荷物を抱え、一人はときどきつまずきそうになりながら、時計台のある方へと向かっている。
中央通りとは言っても、店は見当たらず街灯の光だけが頼りだ。しかしその光もひどく弱々しい。
「なんだか朝とは違いますね。暗くて寒いです」
ぶるぶるっと朱里の後ろを歩いていた小夜が、震えながら言った。
「それはお前が半袖だからだろ。ほら、これ着とけよ」
言って朱里は荷物の中から小夜に買ってやった上着を取り出し、彼女に渡してやった。
「それで少しは寒さも紛れるだろ」
「はい、とっても温かいです」
袖を通して微笑む小夜を横目に、朱里は再び歩き出す。
時計台はもうすぐだ。
ライトアップされた時計盤がここからでもよく見える。
「うわぁー、大きくて立派ですねー」
時計台の真下から上を見上げて、口をぽかんと開けた小夜が呟いた。目はきらきら輝いている。
朱里も同じように上を見上げてはいるが特に表情はなく、ただ単に"見ている"という感じだ。
「行くか。おい、ちゃんと俺に付いて来いよ。上ばっか見て歩いてると転ぶぞ…ってこら。言ってる側から転ぶんじゃねえよ」
「す、すみません。痛いです…」
涙目で立ち上がり、小夜はぶつけたのであろう額をさすりながら朱里の後を追った。
(不安だ)
そう感じる朱里の後ろで小夜がまた「あたっ」とこける。
(とてつもなく不安だ…)
どんよりと彼の心は重くなったのだった。