「…何へらへらしてんだ、お前」
「えへへ。春ですね、朱里さん。ピクニックでもしてみませんか?」
「はあ?しねえよ、そんなもん。それより早く町出ないといけねえだろ。第一、王女様がピクニックなんてするもんなのか?」
それに答えるように小夜はにっこり笑ってみせる。
「王女だってたまにはピクニックがしたいんです。だって、こんなに気持ちのいいお天気なんですから──」
「──王子…紫音王子!」
誰かに呼ばれて、その黒髪の少年は後ろを振り返った。
15、6歳くらいだろうか。
長めの前髪にまだ幼さの残る顔には不機嫌さが漂っている。
「…見つかったのか?」
座っていた椅子から立ち上がると、少年は窓の外を眺めるように背を向けたまま、扉の前に立つ兵士らしき人物に尋ねた。
兵士は一度敬礼し、喋り始める。
「いえ。その件ではなく、王様が王子をお呼びになっております。どうぞ、謁見の間にお見えください」
用件を言い終えると、兵士はすぐに部屋を出ていった。
重厚そうな音を立てて扉が閉まる。
「…まだ、なのか…」
王子と呼ばれた少年は小さく呟くと、兵士の出ていった扉にはめられた紋章を見つめた。
それは竜をモチーフにしたハンガル国の紋章であった。
ようやく町の外れだ。
朱里は小さく安堵の息をついた。
前方には木々が茂る森が広がっている。
「まだ城からの警備は集まってないみたいだな。楽に町は出られるが…」
「うわあ、新しい町に行くんですねっ。あまり外へ出たことがないので本当に感激です!がんばりましょうね、朱里さん」
何を頑張れというのか。
一人で盛り上がっている小夜を横目に、朱里はため息をついた。
(本気でこれからずっとこいつが一緒について来るのか。これじゃろくに仕事もできねえ気がする…)
「どうしました?朱里さん」
「いや…」
しかしそれもこの嬉しそうな小夜を前にして、とても言えるわけがない。
(いっそここで警備の奴らが出てきて、こいつ連れてってくれねえかな)
そんな場面を想像してみる。
だが実際そんなことになったら、きっと自分は小夜を連れて逃げるのだろう。
「俺、本当にこいつの親にでもなっちまったのかな…」
ぼそっと呟いた後で、自分の言葉に自分で落ち込んだ。
「そういえば朱里さん。城の宝物はもうよかったんですか?」
ふと小夜が訊いてきたのは、二人が森の中を歩いている最中のことだった。
「宝?そういや色々あってすっかり忘れてたな。確か東国からの貢ぎ物だろ。漆器か、香辛料ってところだろうな。結構いい値で売れて…なんだよ。なんでそんなしかめっ面してんの、お前」
「そんなに高価な物なんですか、あれが?」
「あれって何だよ。知ってるなら教えろよな」
小夜はうなずきながらも、珍しく渋い顔をしている。
「あれはお父様が東国のお店に特注された、お父様専用の──カツラです」
「…カツ、ラ…?」
一瞬にして朱里の目は点になった。
「それは…高価なのか?」
「どうでしょうか?お父様はとても大事になさっていましたが」
朱里の頭の中に、食堂での男たちの会話が再現された。
『なんたって、王様が毎日肌身離さず持ってるって言うんだからな』
(…肌身離さず…)
「…だからか。どうりですごい貢ぎ物のわりに警備が手薄だったと思った。カツラならカツラって初めから言えってんだ」
重いため息をつく。
「わざわざ城まで行って損した…」
「でも…」
小夜の声に、朱里はうつむけていた顔を上げた。視線が合う。
「そのおかげで、私は朱里さんに出会えました。城から出て、初めて宿屋に泊まって、こうして初めて町の外に出ることができました。"初めて"をたくさん感じられて、私はすごく嬉しいです。朱里さんは楽しくないですか?」
朱里のほうに身を乗り出して懸命に話す小夜の顔は、木々の緑から漏れる光に照らされていた。
「え、いや…別に」
あっさり否定する朱里。
「…ごめんなさい。そうですよね。私、朱里さんに迷惑かけてばかりですもんね…。楽しいわけないですよね…」
しゅんと肩をすくめて小夜は呟いた。前とは打って変わって暗い表情になる。
急に何か思いつめたような、そんな感じがした。