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第2章
世間知らずな王女の話
「ん…」
窓から朝日が差し込んだ。遠くで鳥のさえずりが聞こえる。
いつもと何も変わらない朝。
朱里は日差しのまぶしさに目を細めながら起き上がった。
「ふわあ…いてっ」
伸びの途中で背中と首に痛みが走る。
「いてててて、くそっ」
首を回しながら立ち上がると、朱里は側にあるベッドをじと目で見た。
そこにはかすかな寝息を立てながら、あどけない寝顔をさらして小夜が眠っていた。
それは昨晩のこと。
ベッドに入ろうとした朱里を小夜が引き止めて、困ったように告げた。
『私はどこで眠ればよいでしょうか…?』
周りを見回すが、もちろん他にベッドはない。
『そういや、そうだな。じゃあ…』
自分を見つめる小夜に気づき、
『このベッドで寝ろよ。俺はそこら辺で寝るから、もう!』
仕方なくベッドを彼女に譲ってやったのだった。
「あーくそ。体中が痛え。やっぱり床で寝るのは無理があるな」
言いながら手早く着替えを済ます。
ベッドに近寄ると、小夜の体にかかっている毛布を容赦なく剥ぎ取った。
「起きろよ。もう夜明け過ぎてるぞ」
「ふえ…。おはようございます…」
小夜が目をこすりながら起き上がる。
そして朱里の顔を覗き込むと、いきなりその頬に軽く唇を押し当てた。
「…は?」
固まる朱里。
小夜は何事もなかったかのように立ち上がる。
「な、ななにを…!?」
「朱里さん?どうかしましたか?」
「どうかって、お前今っ…」
慌てる朱里に小夜がきょとんとした顔で答えた。
「今のはおはようの挨拶ですけど」
「あ、あれが挨拶!?お前城でもこんなことやってたのか?」
はい、とうなずく小夜。
「私はずっとそうですけど。朱里さん?」
朱里は顔をひきつらせた。
「…いいか。今度からは絶対こんなことするな。特に、知らない奴には死んでもするな!」
「は、はい」
朱里の剣幕に気圧されて小夜がコクコクとうなずく。
(大丈夫かよ、こいつ。ちゃんと分かってんのか?)
眠たそうに目をこする小夜を横目で見つつ、朱里は胸に一抹の不安を抱くのであった。
だが、不安も一つにはとどまらない。
「そういやお前、着替えがいるよな」
寝間着姿で部屋をうろつく小夜に、朱里が言う。
城から身一つで出てきたのだ。当然ほかに着るものはない。
「いつまでもそのままじゃまずいし、俺が適当に買ってきてやるよ。言っとくけど、絶対この部屋の外には出るんじゃねえぞ。分かったな」
「はいっ。ここで朱里さんを待ってます」
小夜がうなずくのを確かめて、少し不安を感じながらも朱里は部屋を後にした。
服屋はこの宿の向かいにあったはずだ。
記憶のとおり、道を挟んだ向かいに服屋を見つけた朱里は、さっそく適当なものを探し始めた。
その頃小夜は朱里に言われたとおり、部屋で一人窓の外を眺めていた。
朝の澄んだ空気がとても心地いい。
ふと、視界の端に見慣れた城が映った。
小夜の顔が曇る。
今頃みんなは自分を捜しているだろうか。
そんな小夜の頭に父の姿が浮かんだ。
小夜の母が11年前の戦争で亡くなってからはずっと、王である父が彼女を育ててくれた。
だからこそ小夜も父のために頑張ってこれた。
無理だと思うことも必死でやった。
だけど今回は本当に無理だ。できない。
どれだけ父に迷惑がかかるのかはよく分かっている。
それでも、結婚だけは了承できなかった。
父の悲しむ顔を脳裏に浮かべながら、こればかりは仕方のないことだ、と小夜は自分に言い聞かす。
何も、好きな相手ではないから嫌だ、と言っているわけではない。そんなことは建前でしかなかった。
本当の理由、それは。
結婚相手が、ハンガル国の王子であるということだった。
小夜は城から目をそらすとうつむいて呟いた。
「みんなが忘れても私は忘れません。忘れられません…」
ぎゅっとこぶしを握り締める。