小夜の手が小さく震えているのが、朱里からも見えた。
向こうは大の男二人だ。
女一人で扉を押さえ込むのも時間の問題だろう。
「…お願いしますっ…」
懇願するような小夜の声が聞こえた。
クローゼットの隙間からその背中を見つめて朱里は呟く。
「…あいつ、泣いてるのか…?」
小さな肩に華奢な体は、あまりに弱々しく儚い。
それでも必死に運命に抗おうとする小夜の姿に、たまらなく心を動かされた。
一瞬でも、助けてやりたいと思った。
「どうかお願いします…!私を行かせてくださ……え…?」
ドアノブを握る自分の手に温かいものが触れたのに気づき、小夜は顔を横に向ける。
「泥棒…さん」
「ちょっとどいてろ」
朱里は小夜の手を離すと、押さえていた扉を思いきり開放した。
今まで扉をこじ開けようとしていた警備員たちが、突然のことにバランスを崩す。
その隙に朱里は彼らの腹にこぶしを叩き込み、そのまま警備員たちを気絶させた。
倒れ込んだ警備員を確かめて、朱里は小夜に向き直る。
「人が集まらないうちに宿屋に戻るぞ」
「はい…」
小夜が元気なくうなずいた。
ベッドに深く腰かけて、朱里は荷物を床に放り投げた。
小夜はうつむいたままドアの側に立っている。
「座らねえのか?椅子あるぞ」
朱里が話しかけるが、彼女は首を横に振るばかりだ。
「そうか」
それきり、長い沈黙がおりる。
朱里も小夜も身動き一つ取らない時間が永遠のように続いた後。
耐えきれなくなった朱里がついに叫んだ。
「…っだああぁぁぁあああっ!なんなんだよ、お前は!なんで喋んねえんだ、何怒ってんだよ!」
小夜の肩がぴくりと揺れた。
「…怒ってなんていません。私はただ…」
「ただ?」
問い返す朱里に、うつむいたまま小夜が口を開く。
「…自分が情けないんです…。せっかく泥棒さんがくださったチャンスを逃して、泥棒さんにまで迷惑をかけてしまったことが、すごく情けなくて…」
語尾が震え、小夜の頬を涙が伝う。
彼女はそのまま力なく床に座り込んだ。
「…ごめんなさい…ごめんなさいっ…」
顔を手で覆って謝る小夜の側にしゃがみこむと、朱里はその顔を覗き込んで言った。
「…あのなあ、言っとくけど迷惑ならお前が窓から飛び降りたときからかかってるぞ。あとお前を助けたのは俺が勝手にやったことだし…。だから泣くなよ。お前がそんなだと俺が困るだろ。あーもう泣きやめ!」
朱里の言葉に小夜が顔を上げる。
涙で濡れた瞳が朱里の顔を見つめた。
「怒って…ないんですか…?」
朱里は顔を背けるように窓のほうを向いて、うなずいてみせる。
「怒ったって仕方ねえだろ。それより明日の夜明けにはこの町出るからな。それまで寝とけ」
「え、それって…」
「俺の邪魔したらすぐ城に追い返すからな!」
言って朱里が立ち上がろうとするのと、小夜が抱きついてきたのは、ほぼ同時のことだった。
突然のことに、小夜とともに床に倒れ込む朱里。
後頭部を強打する。
「いってえ…何す…」
朱里の言葉は途中で小夜にさえぎられた。
頬をさらりと小夜の髪の毛がくすぐっていく。
朱里の上に重なったまま、小夜がにっこり微笑んだ。
「嬉しいです。ありがとうございます、泥棒さん…!」
その笑顔を朱里はまぶしそうに見上げる。
柔らかい香りが二人を包んだ。
朱里が初めて小夜の部屋に入ったとき嗅いだ香りだ。
(…ああ、そっか。これ香の匂いじゃなくて、こいつの香りだったんだ…)
それは花を思わせる甘く優しい香りだった。
「泥棒さん?」
小夜が首をかしげる前で、朱里はゆっくり起き上がる。
「言っとくけど俺は"泥棒さん"なんて名前じゃないからな。今度からは外でそんなふうに呼ぶなよ。俺の名前は朱里だ」
「朱里さん?あっ、私はマーレン国第一王女の…」
「前に聞いたよ。小夜だろ」
それを聞いて小夜が嬉しそうに顔をほころばせる。
「はいっ。朱里さん、どうぞよろしくお願いしますね!」
外ではまばゆいばかりの星たちが、二人の出会いを祝福するかのように瞬いていた。