警備員の男は部屋の中を覗き込んでいるようだった。
「中に誰かいらっしゃるんですか?」
「いいえ、ごめんなさい。私が一人で騒いでいたんです。なんだか夜になると、無性に元気になるときがあって…本当にごめんなさい」
「は、はあ」
訝しそうな顔を向ける男に頭を下げて扉を閉める。
一呼吸おいて、クローゼットの扉が開かれた。
「もう大丈夫です、泥棒さん」
朱里は混乱していた。
(どういうことなんだ?なんで俺を助けて…)
謎は残るが、とりあえず取るべき行動は一つだ。
無言のまま朱里はテラスから飛び降りる。
「泥棒さんっ」
軽い身のこなしで草の上に降り立った彼は、呼ばれて無意識に二階のテラスを見上げていた。
月が姿を現し、テラスの欄干から身を乗り出す人物の顔にほのかな光を降り注ぐ。
月明かりの下、照らし出されたその姿に朱里は息を呑んだ。
美少女だった。
大きく丸い瞳に、控えめな鼻と唇。艶やかに肩の下まで流れた髪の毛は、なんとなく妖精を思わせる。
逃げることも忘れて、朱里はその姿に見入ってしまった。
(…これで背中に羽でも生えてたら、ほんと妖精だな…)
その姿を頭に浮かべようとした瞬間、少女は信じられない行動に出た。
体を空に投げたのだ。
ふわりと宙に舞った少女はしかし、妖精のように飛ぶはずもなく。
「うわあっ!」
落ちてくるその体を、なんとか腕を伸ばして受け止める。が、うまく支えきれずに、少女を抱えたまま後ろに倒れ込む結果となった。
頭をさすりながら半身を起こすと、朱里の胸の上で少女が目を丸くしてこちらを見下ろしていた。
「…びっくりしました」
「それはこっちの台詞だろうが」
(いきなり落ちてきて何言ってんだ、こいつ)
思いながら立ち上がろうとする朱里の手を、再び少女が引き止める。
「私も連れていってください」
「…は?」
一瞬の沈黙の後。
我に返った朱里は、少女の小さな手を振り払い無言でその場から歩き出した。
「泥棒さん、待ってください!私も…」
少女の言葉も完全に無視して、そのまま城を後にする。
途中、何度か後ろのほうで声が聞こえた気もしたが、それもすべて気付かぬふりを貫いた。
(冗談じゃない。なんで俺が)
宿屋の部屋に戻ると、朱里はベッドに倒れ込むようにしてうつ伏せになった。枕に顔を埋める。
「なんか疲れた…。最悪だったな、変な奴には懐かれるし」
(まあ、顔は可愛かったけど)
そう心の中で付け足したときだった。
突然ドアが開いた。
「泥棒さんっ」
肩で息をしながら立つのは、見覚えのある少女。
ついさっき朱里が撒いたと思っていたあの少女だった。
朱里は壊れた人形のようにギギギと顔だけ扉のほうに向け、そして固まる。
「泥棒さん?入ってもよろしいですか」
その言葉に我に返った。
「駄目だ!絶対に入るな!入ったら襲うぞ!」
慌てて止める、が。
「…え?あ、ごめんなさい」
すでに少女の足は部屋の敷居を越えていたのであった。
「で?なんでお前は俺に付いてくるわけ。まるで金魚のフンみたいに」
それから数分後。
どういうわけか、朱里は少女の話を聞く羽目になっていた。
朱里がベッドに腰かけた前で、少女は床に姿勢よく正座している。
「…あそこには、いたくないんです」
「だからなんで」
少女がうつむき加減に答えた。
「あのまま城にいれば、数日後には顔も知らない方と結婚しなければならなくなるんです。でも、本当はそんなことしたくなくて…。結婚は、好きな人同士がするものだと本に書いてありました。だから…」
その発言に朱里は疑問を覚える。
(…こいつ、何者なんだろう)
今までは城の侍女か何かだと勝手に思っていたが、どうも違和感がある。
侍女にしては世間ずれしすぎているような。
「なあ、お前ってあの城とどういう関係なんだ?侍女じゃないのか?」
「え?私は王女です」
少女があっけらかんと言う。
あまりに自然な口調で言うものだから、聞き流しそうになるほどだった。
呆然とする朱里の顔を覗き込みながら、少女が無邪気に口を開いた。
「ごめんなさい。そういえば自己紹介がまだでした。私はマーレン王スバイナーの一人娘、第一王女の小夜(さよ)と申します。どうぞよろしくお願いします」
にっこり可愛らしく微笑んで頭を下げる小夜だったが、当の朱里の視界には一切入っていない。
いそいそと自分の旅荷物をまとめる後ろ姿がそこにはあった。